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第42回 「師弟の絆を力に。厩舎一丸となって向かう大舞台」

2018.05.28
 5月9日、南関東競馬牡馬路線のクラシック一冠目となる羽田盃(SI)が行われました。このレースを制したのは、矢野義幸厩舎(船橋)のヤマノファイト(父エスポワールシチー)。年明けのニューイヤーカップ(SIII)で門別からの転入初戦を快勝。2戦目の京浜盃(SII)でも勝利し、3連勝でのクラシック制覇となりました。
 管理する矢野義幸調教師は2015年のストゥディウム(父ルースリンド)以来2度目の羽田盃優勝でしたが、今回の勝利は、デビューから13年目を迎えた愛弟子・本橋孝太騎手を鞍上に、師弟コンビでの初クラシック制覇という特別なもの。矢野調教師の「育成」が大きな実を結んだ結果ともいえるでしょう。

 第42回 「師弟の絆を力に。厩舎一丸となって向かう大舞台」の画像 2006年5月にデビューした本橋騎手は、矢野調教師にとっての一番弟子。素質がありながらも、若さゆえの反発もあった本橋騎手を、デビュー2年目で高知競馬に修行に出し、高知競馬の皆さんの力を借りながら、身心ともに大きく成長させたのも矢野調教師でした。

 師弟コンビでの重賞初制覇は、ミスジョーカーで臨んだ2008年の東京シンデレラマイル(SIII)。この勝利は、厩舎にとって初の牝馬による重賞勝ちで、本橋騎手にとっては初の重賞制覇でした。矢野調教師と一緒に歩んでいた故佐藤隆騎手が「牡馬ならルースリンド、牝馬ならミスジョーカーで自分が矢野調教師に重賞を獲らせるよ」と話していたということからも、愛弟子が叶えたミスジョーカーの重賞制覇は大きな意味があったように思います。

 師弟愛のエピソードをあげると、本橋騎手が2011年5月の東京湾カップ(SIII)をジャクソンライヒ(当時・川崎)で制した時、戻って来る途中の馬上で手をあげ、笑顔を見せた視線の先には、見守る矢野調教師の姿があったそう。2012年、東京ダービー(SI)をプレティオラス(大井)で制し、晴れてダービージョッキーの称号を得た直後には、「早く、早く矢野先生に報告したい!」とも話していました。その時の本橋騎手の表情は、笑顔ではなく、真顔だったのを覚えています。「早く・・・」の気持ちがいっぱいに伝わるほどに。

 「羽田盃では、レース前は緊張しましたが、パドックで跨ったらヤマノファイトが安心させてくれました。ゲートを出てくれたので、押さえるよりは行かせた方がいいと思い、想定外でしたが逃げを選びました。オンとオフがしっかりしていて、道中もリキまずに走れています。達朗さん(上永吉厩務員)と亮がしっかり仕上げてくれているので、本番で僕が邪魔をしないようにしたい」と本橋騎手。レース後、「デビューから13年目で師匠との初クラシック制覇だね」と声を掛けると、「嬉しいっすね。ほんと、嬉しいです」と笑顔を見せていました。

 本橋騎手の言葉にもありましたが、ヤマノファイトの活躍には、普段から調教をつけている小杉亮騎手の存在を忘れてはいけません。羽田盃では、レースを終えたヤマノファイトに真っ先に近寄り、首を撫でて優勝の肩掛けを整えていた小杉騎手。どんな思いでレースを観ていたの?と尋ねると、「馬の力を信じていたので、大丈夫だと思いながら観ていました」とにっこりしていました。

 1月のニューイヤーカップ(SIII)の表彰式では、「自分(小杉騎手)は競馬で乗れないのに、一生懸命に馬を仕上げてくれて・・・」と語った本橋騎手が、弟弟子へのこみあげる感謝の思いに涙を見せるシーンもありました。京浜盃(SII)では「今日は泣きません」と言ってファンをなごませていましたっけ。今回は、検量室前で待っていた小杉騎手に、本橋騎手が「亮、ありがとう」と声をかけてがっちり握手。現時点で、昨年の勝ち星を上回っている小杉騎手の活躍も応援していきたいですね。

 自身が紀三井寺競馬廃止後に苦労して南関東に移籍した経験からも、他地区の騎手の受け入れ・騎乗など、人情家として知られる矢野調教師。弟子たちについては「成長?まだまだやな。もっと考えて乗らないと」と辛口評価でしたが、その口調は弟子への深い愛情を感じさせました。

 厩舎一丸となって向かう大舞台、東京ダービー(SI)は6月6日、大井競馬場で行われます。
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