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第69回 「騸馬」

2016.12.14
 2016年11月12日に東京競馬場で行われた武蔵野S(GⅢ、ダート1600㍍)は田辺裕信騎手が騎乗した8番人気のタガノトネール(6歳、栗東・鮫島一歩厩舎)が優勝した。勝ち時計の1分33秒8は2月のフェブラリーS(GⅠ)でモーニン(USA)がマークした記録を0秒2更新するコースレコードとなった。と同時に21回目を迎えた武蔵野Sで初めて「騸馬」のチャンピオンになった。
 鮫島調教師は「この時期は体調もいいんですよ。去年も勝ったと思ったぐらい差のない2着でした」と勝因を語った。2015年は2番手から抜け出しながら、ゴール寸前でノンコノユメの末脚に屈し、ハナ差の2着に終わっていた。1年後、見事に雪辱を果たした。

 2016年は騸馬が存在感を見せつけ、目立った年だった。

 5月1日の天皇賞・春(GⅠ)では8歳のカレンミロティック(栗東・平田修厩舎)がキタサンブラックと壮絶なマッチレースを演じ、ハナ差の2着に健闘した。8月14日のエルムS(GⅢ)ではリッカルド(5歳、美浦・黒岩陽一厩舎)が優勝を飾った。またダイヤモンドS2勝など長距離レースで強さを発揮するフェイムゲーム(6歳、美浦・宗像義忠厩舎)やダートの追い込み馬ノンコノユメ(4歳、美浦・加藤征弘厩舎)といった著名馬が去勢手術を受けて「騸馬」になった。

 騸馬にするための去勢はおもに穏やかな性格にすることを目的にする。コントロールがむずかしいほど気性が激しい場合に去勢をほどこすことが多い。

 競馬記者になった1982年、いきなり世界ナンバーワン騸馬に出会った。ジャパンカップのために来日した米国馬ジョンヘンリーである。ジョンヘンリーは当時の世界最高賞金獲得馬だった。来日時に7歳だったジョンヘンリーは68戦31勝という成績を残していた。31勝のうち11勝はGⅠだった。

 当然のようにジャパンカップでは1番人気になったジョンヘンリーだったが、レースは見せ場もなく敗れ、15頭立ての13着に終わった。調教やレースなどで見たジョンヘンリーは筋骨隆々という鍛えられた体をしていた。そして気迫を表に出すような激しい性格をしていたことを思い出す。

 後にわかることだが、来日した1982年のジョンヘンリーは、この馬としては不調の1年だった。脚部不安で半年以上休むなど6戦2勝に終わっている。

 8歳になった翌1983年も7月までレースに復帰することができずに5戦2勝と振るわなかったが、9歳になった1984年、見事に復活を果たす。GⅠ3連勝を含む9戦6勝と頑張り、年度代表馬に選ばれている。10歳になった1985年も現役を続けたが7月に脚を痛め、1戦もすることなく、そのまま引退した。生涯成績83戦39勝。獲得賞金は659万7,947ドル(当時のレートで約15億7,000万円)に達した。

 騸馬によるJRAの平地GⅠ制覇はこれまで豪州馬ベタールースンアップのジャパンカップ(1990年)など11度達成されているが、内国産の騸馬がGⅠを制したのは3度だけだ。レガシーワールドが1993年のジャパンカップで優勝したのが初のケースで、マーベラスクラウンが1994年のジャパンカップを制して続き、トウカイポイントが2002年のマイルチャンピオンシップに勝った。3頭に共通しているのは、いずれもデビュー後に去勢されて、騸馬になっている点だ。その点、タガノトネールは異色で、デビュー時から、騸馬だった。この勢いでGⅠタイトルを手にすれば、内国産馬としては初めてのことになる。

 米国をはじめオーストラリアなどで、騸馬は珍しくないが、日本の競走馬では数少ない。サラブレッドにも「人格」を認め、人の都合で去勢するということに抵抗を感じる国民性が背景にあるのかもしれない。また3冠レースへの出走もできなくなる。しかし競走馬として成績が上がるのなら、サラブレッドとしては幸福だ。僕は現役の競走馬がどんなに丁寧な扱いを受けているかを知っているので、できることなら現役続行の道を選ぶことが馬の幸せだと考えている。そのための去勢には賛成したい。

 日本のジョンヘンリーが現れる日の来ることを待っている。
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