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第29回 人と馬との歴史の中で~築かれた信頼関係と自由の権利~

2012.08.17
 唐突な話ではあるのですが、私は、よく周囲の人から、「君は自由な人だよね」「自由人だよね」「いいよね、自由で」と言われます。
 自由...?
 正直、自分自身を客観的に見ることがなかったせいか、もしくは他人と自分を比較して物事を判断する習慣がないのか、その意図することがよく分からないでいました。

 しかし今年の夏、2週間にわたるアイルランドの旅で、自由の意味と、自分自身が自由と周囲に判断されるその要因の両方を感じるものとなりました。

 今回アイルランドを選んだその理由の一つは、馬と人との歴史に触れたかったことから。
 競馬や調教、そして普段における人と馬との関係性を実際に肌で感じ、見たいと思ったのです。

 滞在期間10日の間に、アイルランドのカラ競馬場でアイリッシュオークスの観戦、クールモアでガリレオにも逢い、また朝にはDermoto Weld氏と共に調教と厩舎訪問、その他にもイギリスのアスコット競馬場でキングジョージを観戦し、馬の飼料が作られている工場を見学するなど、短い滞在期間の中にも、できることの全てを詰め込んでの弾丸ツアーに。

 ほんとにわずかな時間ではあったのですが、歴史的な背景から、馬との係わり合いが生活の一部となっているその姿に、人と馬との距離の近さをいたるところで感じ、馬自身の存在が、人間と同じように尊重されているように思えました。

 例えば調教後の風景。鞍が外され、長い曳き手に変わった中で、厩舎内にある放牧地で思うがままに30分、草を食べる馬たち。耳の動きが目につかないほど、落ち着き払い、なんともいえない優しい表情。その傍らで適度な距離を保ち、馬の動きを邪魔しないように、寄り添う人々。
 まるで、(今日もよくトレーニングを頑張ったね~。はい、リラックスして、楽しんで)と優しくそっと語りかけているような...。
 完全にそこには、馬自身が得られている自由の権利が存在し、人と馬との共存する姿でした。
 よくヨーロッパの馬たちが日本に参戦した際、パドックでみせる大人しさに驚かされ、時として人と馬との主従関係がクローズアップされてきました。

 しかし今回私が感じたのは、主従関係というよりも、お互いがお互いの立場を理解しあおうとする環境作りの中で築き上げられている信頼関係のように思えました。
 日本とは国土の違いやシステム上の違いもあるがゆえに、同じような感覚を持って話をしてはいけないとは思いますが、それでも日本の馬たちは日々の生活の中で自由を得ているのだろうか...と思わず胸が締め付けられ切ない気持ちに...。
 と同時に、そんな馬たちの姿を見たことで、確かに私のこれまでの生きかたは、自分がしたいと思う気持ちのまま、進んできた人生だと認識。もちろん今回の旅も自由を与えられた中だからこそできたこと。
 周囲の人が私を自由な人間と判断するその要因が理解できたと同時に、あまりにも自由すぎたゆえ、その価値を理解できず、その反対方向に存在する我慢に対して弱すぎたようにも...。

 今回、自由という意味をほんの少しですが、理解できたことによって、自分自身の中でも変えていった方がいい部分に気づかされ、いろんな意味で学びとなるものでした。
 それでは皆さん、また来月お逢いしましょう。
 ホソジュンでした。
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