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第62回 異国文化の中での適応力~日本人も身に付けたい~

2015.05.19
 ひょんなことから、見ず知らずの27歳ペルー人女性を預かることになってしまいました。しかも2ヵ月。
 話の流れはこう。

 ペルーから英語を学ぶ為、オーストラリアに留学した際、同じく留学していた日本人の学生と仲良くなり、「日本は良いところだから、おいでよ、おいでよ」と皆に声をかけられ、卒業し母国に帰るまでの3ヵ月間を日本で過ごそうとやって来た。

 しかしいざ東京に着いてみると、おいでと誘った知人たちは、「おいでとは言ったけど、家に泊まっていいとは言っていない」と、困ってしまう...。

 中には連絡がとれなくなってしまう友達もおり、最終的にとりあえずは私の知人が、息子の留学時代の友達だからということで、3日の約束で彼女の家へ。

 しかしその後もあてはなく結局彼女の家に1週間の滞在となったのですが、いろいろな意味で限界もあり、その後2週間はその妹さん宅で預かることに。

 しかしそこでも慣れない外国人との暮らしに1週後には妹さんがダウン。

 東京の後、名古屋の友達宅に行くと言っていた経緯と、日本語を無償で地域の外国人たちに教えている私の父の話もあり、知人からは「とりあえず仕事帰りの東京駅に連れて行くから1週間だけ滋賀県で預かって...。その後、我が息子の面倒を見に滋賀県にきている貴女のご両親の車で一緒に愛知県へと向かい、彼女の知人のいる名古屋へ送ってほしい。彼女、日本語の勉強もしたいようだから...」と。

 しかし蓋をあけてみると、留学時代の名古屋の知人も、「来ても良いよとはいったけど、ずっと滞在されては困るし無理。せいぜい週末の2泊」と。

 この時点で帰国まで2ヵ月半、そして所持金は10万円程度。

 行くあてもない、お金もない、そんな彼女を追い出せないと、結果実家で両親と住むこととなり、週末は私のマンションや亡くなった祖父の家に住む私の知人であるブラジル人家族とで面倒を見ることになったのです。

 確かに日本人は普段から、「またご飯行こうね、今度、遊ぼうね」という会話をしますが、でも実際にはまたと言われても一度も会食したことがないケースもざら。

 また、他人の家に暮らすことやシェアすることに慣れている外国文化と違い、日本文化はごく親しい人のみ家に招き、ましてや宿泊ともなると親族や家族同然と思える人に限定。

 文化の違いと言われればそれまでなのですが、よくよく考えてみると、所持金もない状況の中で住む場所も決めずに日本に3ヵ月も滞在できる彼女の勇気と、見ず知らずの家で暮らせる適応力は見事なもの。

 もちろん、ずうずうしいと言えばとてつもなくずうずうしいのですが、裏を返せば、たくましいとも思え、感心してしまうところもあります。

 そういえば以前にアルピニストの野口健さんが、「今の若者は1人部屋で育った環境ゆえ、テントでの集団生活に耐えられず、山登りを断念してしまう」と話されていましたが、山だけに限らず、どの競技においても、「日本人はハングリーさが足りない」と言われる近年の要因は、島国でなおかつ現代における核家族で育つ環境ということがあるのかもしれませんね。

 競馬の世界においても今年からルメール騎手・ミルコ騎手がJRA騎手となりましたが、いくら慣れた日本とはいえ腰をすえるとなると、いろいろな戸惑いがあるだろうと感じる中、言葉にしてもグングンと上達し、騎乗においては重賞・そして早くもGⅠも勝利してしまうのですから、凄まじい適応力。

 二人の活躍や歩み方、そして今回の一件においても、文化の違いという言葉だけで片付けてしまうのではなく、しっかりと言葉で確認しあうことの重要性や、適応できる生き方を私達日本人も体得することが大事なのだと感じた今月でした。

 それでは皆さん、また来月お逢いしましょう。
 ホソジュンでしたぁ。
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