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第92回 大切なのは目に見えやすい基準よりも個々の中身~騎手の乗り替わりに思うこと~

2017.11.22
 今年の4月から、週1回のペースで英会話のNOVAに通っています。自宅から近いという点と、過去に短期ではありますが留学経験も数回ほどあり、少しでも英語を使わないと、その経験が全て無駄になってしまいそうでもったいないとも思ってのことですが、上達はおろか、忘れている単語も多く、そして覚えられない状況に、(これが歳を取るということなのだろうか...)
 いやいや (もとの頭とリズム感が悪いせいなのか?)、はたまた(努力、真剣度が足りないのか?)と、半年以上たった最近は、教科書に添って学ぶことよりも、先生との世間話が多くなっています。

 と言うのも、申し込んだのはグループレッスンという4人の生徒に先生1人というスタイルなのですが、人口密度の高くない地域の特権もあり、ほぼ毎回私1人。そんなラッキーな状況もあり、以前から疑問に思っていたことの1つである、外国人と日本人の考え方の違いは、どのようにしてうまれるのか?を質問。

 例えば、職業の選択においては、日本人の多くは、リタイアする時期まで1つの会社に就職することを美徳とし、安定や出世に主眼を置く傾向にあると思えます。

 その一方で外国人の多くは、スキルアップの為や、自分自身が幸せかどうかの基準で会社を選び、転職に関しての抵抗はあまり抱かないように見受けられます。

 現に、以前教わっていたオーストラリア人の男性は、ヨーロッパで仕事をしている彼女との結婚を期に一度互いに母国へと戻り、その後、南米に渡ると話されていました。何でも、南米で暮らしてみたいという思いもあってのことだったのですが、現地での就職先や年数などは決めていないとのこと。

 それを何の不安もなく、サラッと言ってしまうあたりに、生粋の日本人魂なのか、(就職できるかどうか?それによっての生活費や、また1から作り上げていく環境への戸惑いなど、不安にならないのかな...?)と、私の方が心配になってしまうほどでしたが、今回の話題に関しては、30代前半のアメリカ人の男性は、逆に日本の教育や就職における選択基準を不思議に思っていたようで、「あるグループレッスンの時に、○○高校2年生です。と誰かが自己紹介をすると、偏差値の高い高校の時だけ周囲がざわつく。

 その様子に、子供の頃から競争の世界で、入る学校によってランク付けされ、それが全て正解のように評価されている感じ。就職の時にも、どこの大学を出たかが重要視される。何だか子供の頃から、その決められた箱の中に入れるようにとプレッシャーを浴びせられながら生きているようで...。そもそも僕の育ってきた場所に塾なんていうものはなかったし、就職などにおいても、どこの大学を出たかよりも、何を研究し、何に興味を抱き、どの教授のもとで過ごしてきたかが問われる」と。

 その言葉に、目に見えやすい形で基準を決めるのではなく、個々の中身で物事を捉えている、その物差しの違いが、国民性に表れている要因のようにも思えました。

 もちろん、どちらが良くてどちらが正しいというものではないのですが、何だかこれは今の競馬サークルにあてはまるようにも...。

 毎週、掲載される騎手・厩舎の勝ち星のランキング表で、○○騎手、○○厩舎は凄いと判断され、ジョッキーにおいては上位にランキングする騎手に直ぐに乗り替わりに。また厩舎においては血統馬の弟妹などの良血が入る形となり、どんどん格差社会になっている様子。

 もちろん勝負の世界なので、勝ち負けで判断されるのは当然のことではあると思えますが、騎手においては、そこに至るまでの過程と結果を考えると、当然と言える騎手チェンジと、それ以上の結果を求めることはおろか、それまでの道のりを壊してしまう恐れのあるものも存在するようにも思えます。

 また厩舎においては、何勝挙げたかよりも、個々の実力に見合ったクラスで走れているか?もしくは作るという能力をトレセンに求めるならば、在厩しての結果こそが判断基準のようにも...。

 皆さんは、どうお感じになられますか?
 それではまた来月お逢いしましょう。
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