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第12回 北海道日本ハムファイターズ(Part1)

2009.12.01
 最近,このコラムを読んでくださっているという牧場の方から「どうしてタイトルがファイターズなの?」という質問をされることが多くなった。 このような拙文に目を通していただいているだけでも有り難いことなのだが,しかも直に質問までいただけるなんて,感謝を通り越して申し訳ない気持ちすらしてくる。
 JBBA NEWSという高尚な媒体に,わざわざユニフォームのデザインまで付けた上で,「ファイターズ」の名前を名乗らせてもらった理由。それは僕が「日本ハムファイターズ」のファンだからである。

 当たり前かと思われる方も多いだろうが,その一方で,「え,北海道日本ハムファイターズじゃなくて?」とお思いの方もいらっしゃることだろう。実は東京ドームから札幌ドームにチームが移って来てからのファンではなく,後楽園球場をホームとしていた時代からの筋金入りのファンだからだ。

 どうしてファンになったかという話は長くなるので割愛させていただいて,本拠地移転の際には,馬産地ライターの肩書きをスポーツライターへと変え,神聖なるグラウンドに足を踏み入れただけでなく,ベンチにでーんと座って,その椅子の硬さにつかの間のプロ野球選手気分を味わったこともあった。「日本ハムファイターズファンのスポーツライター」と色々な人に触れ回っていたことが功を奏して,ファイターズの選手と直に話を聞くという取材が回ってきたときには,ライターとしてここまで続けて来られたことに心から感謝をした。

 そして昨年には北海道日本ハムファイターズ公認と言える,ファンマガジン「FIGHTERS magazine」のライターとなり,稲葉篤紀選手や金子誠選手,また通訳を間に挟んでもらい,ターメル・スレッジ選手の取材を行ったこともあった。

 取材ということで,まさか「中学生からのファイターズファンです」と口走ることはしなかった。それでもこれらの選手を前に全くと言っていいほど緊張をしなかったのは,これまでの馬産地における取材で,様々な方に話を聞かせてもらったこと。そして,数々のスターホースを見てきたからかもしれない。

 時間は限られているとはいえ,一流の選手に深くテーマを掘り下げた話を聞けるというのは,なかなか無い経験であり,ライターとしても成長させてもらえたこの上ない機会だった。その一方で,ライター半分,ファン半分で取材に臨めたのが,鎌ヶ谷市にあるファイターズタウンでのファーム(二軍)取材である。

 別にファームだからといってふざけた気持ちで取材に臨んでいたわけでない。試合前に取材が設定される一軍とは違って,ファームの取材は試合後か,もしくは練習の後。取材時間も設定されておらず,選手たちも用意ができたら取材場所にやってきて,ざっくばらんに様々な話を聞かせてくれた。

 この取材ではあの中田翔選手や,今や一軍のローテーションに加わった糸数敬作投手,また夏の甲子園における駒大苫小牧との決勝戦も記憶に新しい鵜久森淳志選手にもプライベートから,将来の目標まで様々な話を聞かせてもらった。取材の前には「どうなるんだろう?」と思っていた中田選手も,話をしてみるとかなりの好青年であったことを,来期の活躍を信じて書き添えておきたい。

 取材までは練習や試合を見ていても良く,昼には選手と同じ食堂でご飯を食べさせてもらったりもした。残念ながら編集を行う会社が変わったことで,今シーズンは「FIGHTERS magazine」の取材からは離れてしまったが,来年もファイターズタウンの取材があるのなら,是非ともライターとして雇ってもらいたい。

 ここまでファイターズに関する話を書いてきたのは,決して自分のファイターズ愛を語りたいからではない。ファイターズタウンと,そこにいる選手たちを見て感じた,「育成」の重要性についてである。

 ファイターズタウンとは,東京ドームとほぼ同じ面積のファイターズスタジアムと,合宿所の勇翔寮,そして室内練習場の総称を指す。日本のプロ野球でもファームでここまでの施設を有しているチームは珍しく,今でも12球団一と言われることもある。

 この育成施設から育ったのが,日本のエースとも言われているダルビッシュ有投手,また田中賢介選手や森本稀哲選手である。ファイターズタウンに何度も足を運ぶたび,改めてこの場所は「育成牧場」と一緒だとの思いが強くなった。

(次号に続く)


JBBA NEWS 2009年12月号より転載
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