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第66回 『緑川所長退任に際して PART2』

2014.06.16
 競走馬のふるさと日高案内所の所長職を、今年の3月末を持って定年退任された緑川芳行さん。
 その緑川さんが定年間近となった時、突き動かされるように行動したのが、東日本大震災で被災した馬たちやその関係者の支援。その中でも人馬共に多大なる被害を受けた「相馬野馬追」が、東日本大震災に遭ったその年でさえ開催されたという事実に接し、取った行動は、祭にかける関係者の思いや、被災地の現状を現地に出向いて、自分の目で確かめることだった。

 緑川さんが初めて南相馬の地を訪れたのは、震災の次の年である、12年の11月29日から12月2日までの4日間。その際の詳しい内容に関しては、競走馬のふるさと案内所のトップページにある「2011年東日本大震災『南相馬市被災馬現況調査報告書』」として、リンク先にまとめられている。

 この報告書にも書かれているように、緑川さんは限られた時間の中で様々な関係者の間を渡り歩き、話を聞くだけでなく写真も撮影しながら、被災地の様子や功労馬の姿も伝えている。

 報告書の中には津波で繋養馬だけでなく、家族のほとんどを失った相馬野馬追の参加者や、事故を起こした福島第一原子力発電所から20㎞圏内に居を構えていた牧場主の話も書かれている。ライターである自分でも文章としてまとめるどころか、話を聞くことさえもためらわれるような内容であるのだが、誰に対しても優しく、そして親身に話を聞いてくれる緑川さんだからこそ、ここまで話を聞かせてもらうことができたのかもしれない。まだ、目を通されていないという方は、是非ともご一読願いたい。

 報告書をまとめてからも、緑川さんの被災地に対する行動は止まらなかった。自らが中心となり、支援を行った牧場の関係者や、我々のようなマスコミの協力者と共に立ちあげた団体、それが「相馬野馬追を応援する会」だった。

 この会の参加には相馬野馬追の関係者へ支援品を送るための協力金と、そして被災者へのメッセージを添えるということが条件だったのだが、あっという間に賛同者は集まり、協力金も予定していた額をオーバーする。

 その時、集まった協力金で何を送ったかというと、これも'酒豪緑川'だからこそ閃いたというか、お酒のあてになりそうな日高の海産物や珍味だった。相馬野馬追に向けての練習などの集まりの後、お酒を酌み交わすことがあったときに、海産物や珍味をその「アテ」にして欲しいとのことだというが、この辺の気づかいもまた緑川さんらしい。

 次の年にも再び南相馬に訪ねるなど、交流を深めていった緑川さんは、ついには支援を行っていた日高の牧場に、相馬野馬追の関係者を呼び寄せる。馬の用途や養いこそ違えど、ホースマン同志の交流はあっという間に進み、緑川さんが所長職を退いた後も、個人間での交流も行われているという。

 また09年から始まった「馬産地見学ガイドツアー」でも、日高地区の牧場見学において、緑川さんの人脈によって見学ルートに含まれた牧場があっただけでなく、ツアーの前には自ら車を走らせて、牧場間の距離や時間を確認する「実測調査」を行ったことで、日程をスムーズに消化することもできた。

 改めて緑川さんという人物を振り返ってみると「気づかいの人」だったなあと思うばかりである。牧場にも顔が広く、しかも、あの報告書をまとめられるだけの文章力を持った人材に何もさせないのは勿体ない。

 先日、無職(笑)となったばかりの緑川さんと昼食を共にしたのだが、その際に、「日高に残られるのなら、馬産地ライターをやってみてはどうですか?」と話すと、意外なリアクションというのか、「それもいいね」と返してくれた。実際のところはふるさと案内所の所長職を務める前の職場だった、広告代理店での経験を生かして、馬産地におけるイベントや制作物を手伝っていきたいとのこと。何せ日高と生産界を熟知している人物だけに、かなり重宝される存在となることは間違いない。

 勿論、個人的にも人生の大先輩であり、様々な人生経験から得た知識を元に、アドバイスをいただくこともあるかと思うが、誠に勝手ながら、第二の人生を送るに当たり、幾つかのお願いをさせてもらいたい。

 まず1つは、送別会を行った際に参加者も話していた「相馬野馬追を応援する会」の活動を、今後もライフワークとして続けて欲しいということ。そして現役最高齢の新人馬産地ライターとしてデビューした暁には、先輩として接しますよということである(笑)。というのは冗談としても、今後の「緑川さん」の活動、期待と共に応援していきたい。所長、いや「元所長」。本当にお疲れ様でした!
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