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第87回 『新しい競馬新聞』

2016.03.17
 人に言えるほどの長所も無く、これといった取り柄も無いままに、40代中盤を迎えようとしている自分だが、実は鼻がいい。
 と書いてみたものの、その特技をどう立証できるのかがイマイチ分からない。鼻がいいからといって、警察犬のようなことはできないし、日常生活で使えることと言えば、ガスコンロのスイッチが入ったまま、火が付いていないのをいち早く気付けるぐらいだろうか。

 もしあと20年程若ければ、調香師を目指したかったなあとも思うのだが、匂いが何であるのかを判断し、それを記憶していくのが大変そうである。なので、家に帰ってきて玄関を開けた瞬間に、今日の晩ご飯のおかずを当てるぐらいしか特技の使い道は無さそうだ。

 そう言えば、目もいい。あくまでこれは同世代との比較でしか無いのだが。目の前には日本海しか無かったような漁村で18年間育った自分は、普段から遠くを見る習慣があったからか、それほど視力が落ちることなく10代、そして20代を過ごすことができた。

 しかし、パソコンでの作業が増えた30代からはさすがに視力も落ち始め、運転免許の更新も、次回は「眼鏡着用」になるのではとドキドキしている。「なんだ、顔だけでなく、目も良くないじゃん」と思ったそこのあなた!顔のことはさておいて(笑)。目がいいと書いたのは、あくまで同世代との比較である。齢44歳を迎える現在もまだ、老眼の症状が出てないのだ。

 というのも最近、同い年の友人が、競馬新聞を顔から離しながら、しかも、しかめっ面を浮かべながら睨みつけているのを見て、思わず「それ、本気でやっているの?」と聞いたことに始まる。その友人は、「最近、近くの文字が見えにくくて。浩平はこの距離でも見えるの?」

 と聞かれた時に、「余裕で見えるよ」と答えられた瞬間は、何とも言えない優越感があった(笑)。

 とはいっても、この光景を見たのはその友人だけでなく、40代となった競馬仲間のほとんどが、競馬新聞を顔から離して見るようになっていた。そう言えば両目の視力が1.5であることを、ずっと自慢していた元漁師の父親も、いつからか新聞を読むときには、床に新聞を敷いて、まるで傍観するかのように顔を離していた。いくら視力が良くとも、忍び寄る老眼からは逃れることができないのかもしれない。

 その友人や知り合い達に見せつけるように、競馬新聞を目の前で読んでいる自分だが、それでもどのタイミングで、老眼に肩を叩かれるか分からない。そうなると、週末の楽しみだった競馬新聞(含むスポーツ新聞の競馬面)も、いつしかよく見えないというストレスを溜めこみながら、しかめっ面で読む日が来てしまうのだろう。

 ここ数年、初心者向けの競馬教室(ビギナーズセミナー)を競馬場などでやらせてもらっている。その際、初めて競馬をする方、もしくは久しぶりに競馬場に来たというご高齢の方が参加されることも珍く無いのだが、競馬新聞の見方を始めると、しかめっ面をする方が多く見られていた。

 日本競馬が世界に誇れる文化には、競馬新聞(含む馬柱)があげられると思う。詳しくはライターの江面弘也さんが書かれた名著「活字競馬に挑んだ二人の男」を読んでいただくこととして、馬柱を理解できるようになると、より予想が楽しくなり、そして、競馬の奥深さを知れるようになることは間違いない。

 しかし、老眼などで視力が落ちてくると、その馬柱の内容を見るのも困難になってくる。せっかく競馬新聞を開いたのに、「自分で予想を組み立てる」の根底にある、馬柱を読み込むことを、そこで諦めてしまうのは非常に勿体ない。

 その馬柱の情報を元に、トラックマンの方が割り振った印が分かればいいのかもしれないが、競馬新聞にはコメントや見解といった、様々な情報も盛り込まれている。できることなら、その記事にも目を通した上で熟考していただきたいのだが、自分の父親のように、新聞と顔との距離を遠ざけてしまうご高齢の方々に、競馬場やウインズで床に新聞を置いてくださいと言えるわけがない。

 勿論、競馬場では老眼鏡の貸し出しサービスもあり、しかも、視力が衰えてきた方のほとんどが、競馬観戦には眼鏡持参で来られているはず。また、将来的にはタブレットが普及することで、電子化された競馬新聞なども、小さな文字を拡大できるようになっているのかもしれない。

 とりあえず、小さな文字を見るのが難しくなったご高齢の方々に提供できる情報として、レースを限定した上で、大きな文字の競馬新聞を作るというアイデアを思い付いた。競馬新聞を発行されている皆さん、僕が老眼になる前に実行に移していただけませんか?
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