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第118回 『松橋康彦さんの思い出』

2018.10.19
 まずは台風21号、そして北海道胆振東部地震により、甚大な被害を受けた地域に住まわれている皆様に、お見舞いを申し上げます。見慣れた場所の景色が無残に変わっているのを映像で見る度に、心を痛めております。一日も早い復旧と復興をお祈りいたします。
 8月17日、青森県軽種馬生産農業協同組合の松橋康彦参事が亡くなられた。このコラム(第95回 『頑張れ!東北の馬産地』)でも、初めて青森へ取材に行った際、松橋さんにお世話になった経緯を少しだけ触れている。

 当時、ラフィアンターフマンクラブの会報誌の「Enjoy Ruffian」で、活躍馬の生産牧場を巡っていた自分は、フィリーズレビュー(JpnⅡ)を制したマイネレーツェルを生産した、青森・佐々木牧場へ取材に行こうと思い立つ。

 しかしながら、佐々木牧場の場所は勿論のこと、牧場との連絡も取れないでいた自分に、「苫小牧からフェリーに乗って、八戸に着けば、後は自分が案内してあげるよ!」と言ってくれたのが松橋さんだった。

 とはいっても、松橋さんが勧めてくれたフェリーの八戸到着は午前7時半。「そんな早い時間から申し訳ないです」との僕の言葉に耳も貸さないかのように、「青森の馬産のためなら何でもするから!」と話した松橋さんは、僕が「フェリーを降りました」と連絡してから数十分後に本当に迎えに来てくれた。

 「まだ取材まで時間もあるし、色々見せたいところもあるから車に乗って!」とワンボックス車に自分を乗り込ませる。

 変わりゆく景色を楽しむ暇も与えてくれないほどに松橋さんが様々な質問を向けてくる中、一生懸命に会話を成立させていると、都市部から住宅地、そして森の中へと景色が変わっていく。気さくに誘ってくれたのは建前であり、このまま山の奥に自分を放置するのでは、とビクついていたところ、「着いたよ!」と松橋さんが指し示した場所、そこは八戸家畜市場だった。松橋さんに促されるように、会場の中に足を踏み入れる。マイネレーツェルが八戸市場の取引馬であり、そのことを伝えたかったかどうかの真偽は分からなかったが、松橋さんは懇切丁寧に八戸市場や、青森県の馬産の現状を話し出す。

 それは取材者として、とても有り難いことであり、北海道以外の馬産にも目を向けねばと思わされたのだが、あまりにもその話が熱を帯びてきて、このままだと取材に遅刻してしまうのでは?と思った矢先、「じゃあ、佐々木さんのところに行くか!」と車に乗せられると、そこから10分も経たない場所に佐々木牧場はあった。

 松橋さんがいてくれたこともあってか、取材もスムーズに運び、その後はどうするのかと思っていたところ、「ちょっと寄りたい牧場があるから、付き合ってくれるかい?」と言われたところで、車に乗せられた自分は抵抗できるわけも無く、どこを走っているかも分からないままにその牧場へと移動。「立ち写真を撮りたいから手伝って!」と言われるがままに、1歳馬の耳を立てる羽目になっていた。

 その後は、取材日が土曜日ということもあり、ウインズ種市(現在のJ-PLACE種市)に行きたい、という自分の願いを叶えてもらうと、そこには旧知の関係でもあったJRA職員の方が出張に来ていた。その方は深夜に八戸を経つフェリーまでの間、一緒にご飯を食べてくれる約束をしてくれたものの、「俺は夕方から飲み会があるから」と誘う間も無く断りを入れてきた松橋さんは、有言実行と言わんばかりに、「じゃ、また北海道で会おうね!」と八戸駅前で荷物を持った自分を残して、どこかへと立ち去ってしまった。

 今から約10年前のことでも、はっきりと思い出せるエピソードだが、1つだけ思い出せないのが、その日、松橋さんと昼食を食べた記憶が無いことだ。

 普段からアルコール類を嗜む習慣の無い自分は、「酒豪」という言葉では済まない程にお酒を飲んでいた松橋さんと、宴の席を共にした機会が一度も無い。それでも、一度ぐらいはぐでんぐでんになっている松橋さんを見ながら、八戸の美味しい食材を食べたいなあと思っていただけに、訃報を聞いたときには、その目標が叶わなかったのかと思うと、余計に悲しさが増してきた。

 お悔やみ申し上げます、ありきたりな言葉で、松橋さんとの関係を終わらせたくない。「お酒は飲みませんが、一緒にご飯を食べたかったです。そして、青森の馬産に関する見聞を広げてくれてありがとうございます!」と天国の松橋さんに、この場を借りて伝えたい。
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