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馬ミシュラン

小山内完友 馬ミシュラン

第106回 『血が駆ける』

 7月19日、作家、競馬評論家の山野浩一さんが亡くなられた。77歳。

 長らく夫人のみどり先生の介護をしながら、作家、競馬評論家として活動されていたが、2月の検査で食道がんが見つかり、介護と本人の闘病生活を送られていた。

 その様子は、山野さんがご自身のブログに状況を残されている。いかにも山野さんらしいというか、読み返すと状況を冷静に、詳細に、そしてそれに対する考察も書かれていた。

 5月には「終活」に入り、お墓を買い、相続の手続きをし、蔵書を整理。治療の合間に温泉に行き、退院中には文芸関係など見舞いに訪れた旧知の方々と写真に納まっていた。

 我々もいつお見舞いに行こうか相談していたが、タイミングが悪く、なかなか行けずにいたが、そうこうしている間に、7月には余命2か月半と。最後に「とりあえずみなさまサヨウナラ。」と書かれていた。それが7月14日で、今週か、来週中には行こうと相談していた矢先だった。

 第一報は同じく見舞いに行くつもりだった競馬関係の知人からだった。日にちを伝えようと電話をかけたら山野さんの身内の方が出て、その日、山野さんが病院に運ばれたことを知ったそうだ。

 翌日、山野さんの弟さんに連絡が取れ、詳細を聞くことができた。

 その日、山野さんは治療のため病院に行く予定だったが、時間になっても来なかったので担当の方が自宅を訪ねると、倒れている山野さんを発見。すぐ病院に搬送されたが、そこで死亡が確認された、とのこと。

 弟さん達は元々その日山野さんを見舞いに行く予定で、新横浜あたりで病院から連絡を受けた、とのこと。身内の方々もまだ危ないとか、そういう状況ではないと思っていたので、普段着で上京してきたので、「まさかこういうことになるとは、全く思っていなかった」と。

 また、葬儀などについても、「こちらでの交友関係も全くわからないので大変申し訳ありませんが、そういう事情もあり身内だけで済ませます」と。日を改めて、お別れの会を文芸関係、競馬関係を中心に行って欲しい、とおっしゃっていた。

 山野さんのことはUHFの競馬中継の新種牡馬レビューや、サラブレッド血統辞典で知っていた。弊紙でも「血が駆ける」を連載されていたが、上の世代は山野宅に原稿取りに行っていたそうだが、我々が入社した時代には既にFAXで原稿が送られてきていたから、お会いする機会はなかった。

 初めてお会いしたのは、日刊競馬に入社した年の年末だった。NARグランプリの選定のために、交換紙(全国の地方競馬専門紙各社と資料用に新聞を交換している)で成績等を調べに来社された時であった。自分の正面の空いていた席を使っていて、「このレースの新聞下さい」と言われたら、速やかに探して渡す係を当時の上司に任命されたのだった。その時、初めてご挨拶させていただいた。今でもよく覚えている。

 それから10年くらい経って、グリーンチャンネルの番組で解説者の末席に加えてもらい、さらにそれから10年後、NARグランプリ優秀馬選定委員会でご一緒させて頂いた。

 NARグランプリの選定委員会は、山野さんと意見が異なることも多く、議論になることが度々あった。勝った負けたではなく、己の見識を問う真剣勝負、みたいな雰囲気が楽しかった。新聞集め係から20年。ようやく同じ会議に出られるようになったが、毎年終わった後「キミもまだまだだねえ」と笑顔で言われるとガックリくる。会議中にハッとさせられるような意見を述べられることも多く、それがまた1年間、沢山のレースを観るための活力になっていたのかもしれない。

 競馬場で会う山野さんは、競馬ファンそのものであったが、中央や地方の所有馬や出資馬の多くが活躍し、その見識の高さに何度も驚かされた。そして「キミの印はどうなの?」と見透かしたように言ってくる。

 今年のNARグランプリ優秀馬選定委員会。山野さんと全く同意見だった。会議後にその話をすると、「キミもようやくわかるようになってきたね」と。その後も祝賀会や競馬場でお会いして話をしているのだが、なぜかそれだけはよく覚えていて、他の事はあまり覚えていない。

 山野さんには多くの事を教わった。それを生かすことが恩返しだと思っている。

 山野さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。