
鎌倉駅の改札口を出ると、バスターミナルに鎌倉山経由江の島行きが待っている。グッドタイミング。途中のバス停笛田が私の家に近い。
バスに乗ろうとしたとき、「大仏に行くの、これでいいかね?」老人に聞かれる。これでいい。「ありがとう」
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寒い日の午後、鎌倉駅に近いコーヒーショップに入ると、「おや?」という老人の顔とぶつかった。私の顔も、「おや?」になる。
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去年の秋だったなあ、塗装工のタケちゃんと知り合いになったのは。
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ひとりで酒をのんでいるときなど、なんとなくだが、おれの人生、運がいいのかもしれないと思ったり、おれの人生、運がないなぁとか思ったりしていることがある。
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仕事を終えると,歩きに行く。夏の終わりのころ,山道の石段をゆっくりと上がり,サッカーや陸上のグラウンドと野球場とのあいだ,バスケットボールのゴールポストがひとつ立っている抜け道のベンチで休んだ。遠くの少し赤い空に富士山が見える。まだ蝉が鳴いていた。
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テレビのコマーシャルを作ったりミュージカルの製作をしたりしていたキタムラさんが,20年も育ててきた会社を72歳で若い人にゆずって3年が過ぎる。今は電話で馬券を買うか,ときどきはウインズ銀座に出かけるか,それとクラブの40分の1馬主(何頭か持つなかにサンカルロがいる)を楽しんいる。
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『今でも思い出す原風景がある。少年時代,岩手県花巻市の実家の前にある田んぼで,石をボール代わりにバットを振って遊んでいた。
「コツーン,コツーンって。打った石ころが田んぼを越えるようになったとか,目に見える変化が面白くてやっていた。気づくと,真っ暗になっていることもあった」
日本人離れした長打力は,この時から磨かれてきた。東日本大震災で故郷の風景が様変わりしてしまった今こそ,東北地方に元気を届けたいと思っている』
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「自分にしか通じない言葉を頼りにして,それで暮らしてまいりましたわ」
という老人の小声が,この夏,私の心に刻みこまれた。
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42歳から私は文章を書くことで生活をしている。自分の才能について自信などなくて,おれみたいな頼りない奴が,困った奴が,ちゃんと生きていけるかなあという不安は,34年も文筆生活を続けている今も消えることがない。
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私が暮らす住宅地で,順番にまわってくる班長という役を引き受けねばならず,町内会の集まりに行った。いろいろな役目の人が20人ほどいて,防犯やらレクリエーションのことやら話し合っているなかで,明日はダービーだなあ,今日の雨はもっとひどくなる予報だが,なんとか奇跡が起きて,晴れてくれないかなあ,と私は思っている。
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