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第5コーナー ~競馬余話~

有吉正徳 第5コーナー ~競馬余話~

第14回 生き続ける境勝太郎ブランド

 中央競馬で活躍した境勝太郎・元調教師が亡くなった。

 ダービー馬サクラチヨノオー,天皇賞馬サクラユタカオー,サクラチトセオー,サクラローレル,快足馬サクラバクシンオー。「サクラ」を愛し,「サクラ」に愛されたホースマンは,桜花賞が行われた4月12日の早朝,89年の生涯を閉じた。

 1920年,北海道で生まれた境さんは,35年に騎手見習になった。翌36年,騎手デビューを果たし,63年まで現役を続けた。騎手時代の主な勝ち鞍には,44年の農商省賞典四歳(現・皐月賞,クリヤマト),50年の桜花賞(トサミツル),53年の天皇賞・秋(クインナルビー)がある。馬名から想像できる通り,クインナルビーは優勝時には4歳だった牝馬。現役引退後,繁殖牝馬となり,そのDNAがオグリキャップにつながった。

 66年3月1日に調教師免許を得た境さんは4月9日の中山競馬場で調教師デビューを果たす。送り出したオーダイヒメは15着だった。調教師としての初勝利は同年7月24日。札幌競馬場でコクセンが第7レースで優勝した。

 初めての重賞勝ちは73年9月30日。中山競馬場で行われた第7回スプリンターズSだった。東信二騎手が騎乗したキョウエイグリーン(牝4歳)は1番人気に応え,1分9秒6(芝1200メートル)のレコードタイムで優勝した。

 97年に定年で引退するまで5202戦656勝。なにより大レースに強かった。僕はスポーツ新聞の競馬記者だった80年代,毎週のように美浦トレーニング・センターにある境厩舎にお邪魔していた気がする。改めて記録を見てみると656勝のうち重賞レースが53勝。そのうちG1級レースは14勝もしている。

 競馬の目的のひとつは「種牡馬の選定」だ。レースを重ねることで速い馬を選び出し,次世代につなげる。3冠レースや天皇賞などは,種牡馬選定のための根幹レースだ。境さんは数多くの競走馬を種牡馬として生産地に送り返した。そういう意味で,調教師本来の役割を見事に果たした人だった。

 代表馬はサクラユタカオーだろう。偶然だが,僕はサクラユタカオーが1歳だった83年6月21日のせりに出場し,3,500万円という値で落札された現場にいた。父テスコボーイ(GB)は数多くの名馬を送り出した種牡馬で,母アンジェリカはサクラシンゲキ(スプリンターズS)などを産んだ優秀な繁殖牝馬だった。夢のようなカップリングから生まれた「テスコジェリカ」(幼名)はせりが始まる前から評判になっていた。3,500万円はこの日の最高価格だった。

 境厩舎に入ったサクラユタカオーは大型馬だった上,脚元に不安を抱えていたため,調整が非常に難しかった。境調教師は蹄鉄に工夫をこらすなど仕上げに手を焼いた。それでいて,4歳時の毎日王冠,天皇賞・秋をレコードタイムで連勝するなど抜群のスピードを誇った。86年の有馬記念を最後に現役を引退。通算12戦6勝の成績だった。

 生産界は5億円のシンジケートを組んで,サクラユタカオーを種牡馬に迎えた。

 サクラユタカオーは種牡馬としても期待にたがわぬ活躍を見せた。サクラバクシンオー(スプリンターズS2勝),サクラキャンドル(エリザベス女王杯),ウメノファイバー(オークス),エアジハード(安田記念,マイルチャンピオンシップ)と4頭のG1馬を生み出し,孫に当たるサクラバクシンオー産駒のショウナンカンプが高松宮記念を制するなど,快足の遺伝子は脈々と受け継がれている。

 偉大なホースマンは亡くなってしまったが,境さんが競馬場に残した業績はサラブレッドという形として,しっかりと生き続けている。境さんの「作品」はこれからも健在だ。


JBBA NEWS 2009年5月号より転載