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第32回 ヘビ年の法則

2013.11.18
 2013年10月20日に京都競馬場で行われた第74回菊花賞はエピファネイアが2着のサトノノブレスに5馬身差をつける圧勝で終わった。
 皐月賞では1分58秒1の好タイムで走りながら、ロゴタイプに半馬身差をつけられて2着。ダービーではゴール寸前でキズナにかわされて、これまた半馬身差の2着に終わっていた。

 エピファネイアのように皐月賞、ダービーでともに2着になり、菊花賞に出走したケースは過去に8度あった。古い順に挙げるとイツセイ(1951年)、キタノオー(1956年)、カツラシユウホウ(1958年)、グレートヨルカ(1963年)、ダイコーター(1965年)、ワカテンザン(1982年)、ビワハヤヒデ(1993年)、ダンツフレーム(2001年)となる。このうちキタノオー、グレートヨルカ、ダイコーター、ビワハヤヒデの4頭が菊花賞で優勝し、見事に春の雪辱を果たした。

 エピファネイアはこうしたケースで優勝した史上5頭目の菊花賞馬になったわけだが、同じケースで優勝した20年前のビワハヤヒデも2着のステージチャンプに5馬身差をつけての圧勝だった。偶然なのだろうが、騎手が「これでもか」と春の悔しさをぶつけた結果だという気もする。

 「ヘビ年(巳年)の法則」は今年も健在だった。ここでいうヘビ年の法則とは、僕が勝手に命名したものだが、ヘビ年の3冠レースはなぜか勝ち馬がバラバラになっている。

 前回の2001年は皐月賞がアグネスタキオン、ダービーがジャングルポケット、菊花賞はマンハッタンカフェがそれぞれ優勝している。1989年はドクタースパート、ウィナーズサークル、バンブービギン、1977年はハードバージ、ラッキールーラ、プレストウコウ、1965年はチトセオー、キーストン、ダイコーター、1953年はボストニアンが皐月賞とダービーの2冠に輝き、ヘビ年の法則は崩れている。1965年以降、3冠レースの勝ち馬がすべて異なるというヘビ年の法則は続き、今年も継続された。12年後の2025年がどうなるか、今から楽しみだ。

 今年は菊花賞が行われる前にヘビ年の法則が確定していた。皐月賞馬ロゴタイプは秋の進路を天皇賞に定め、早くから菊花賞への出走をあきらめていた。その後、体調を崩したため現在はレースから遠ざかっている。
 ダービー馬キズナは矛先をフランスに向けた。9月のニエル賞では同期の英国ダービー馬ルーラーオブザワールドの追い込みを封じて快勝。続く凱旋門賞でも積極的なレース運びで4着に食い込む健闘を見せた。

 菊花賞の出馬登録が締め切られた時点でロゴタイプとキズナの名前はなく、3冠レースの勝ち馬がバラバラになることは決まっていた。皐月賞馬もダービー馬もいない菊花賞は21世紀になって4度目だった。

 こうしたケースで台頭していたのは春の皐月賞、ダービーに出走していなかったグループと相場が決まっていた。実際に2000年以降の同様のケースで優勝したのは、デルタブルース(2004年)、オウケンブルースリ(2008年)、そしてビッグウィーク(2010年)といずれも春のクラシックには出ていなかった馬たちだった。

 こうして振り返ってみると、エピファネイアの勝利はいくつかのジンクスを克服した価値あるものであることがわかる。それは同時にエピファネイアの騎手、福永祐一と父シンボリクリスエス(USA)にとっても意義の深い勝ち星だった。3000メートルのGⅠレースというのは福永騎手とシンボリクリスエスのGⅠ勝利の中では最長距離となった。この1勝はこの人馬にとって新境地を開く勝利になったと想像される。

 「ダービー2着馬は出世する」という格言もある。グレード制が導入された1984年以降、(エピファネイアを含めた)ダービー2着馬のうちメジロライアンやライスシャワーなど17頭がダービー後にGⅠタイトルを手にしている。

 中でもシンボリクリスエスは代表格で、2度の天皇賞(秋)制覇、有馬記念優勝と4つのGⅠタイトルに輝いた。父に一歩近づいたエピファネイアの次なる目標は父を超えることだろう。
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