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第55回 「ダービー馬」

2015.10.20
 2013年の日本ダービー優勝馬キズナが引退することになった。秋の天皇賞を目指して放牧先から帰厩した直後に右前脚の浅屈腱炎が見つかった。父ディープインパクト、母キャットクイル(CAN)。姉に桜花賞馬ファレノプシスを持つ良血馬。種牡馬としての期待も大きく、現役引退という選択は正しいものだと思う。
 僕がキズナの強さをもっとも感じたのは、凱旋門賞の前哨戦として選んだニエル賞での走りだった。

 日本ダービー馬が凱旋門賞挑戦のためフランスに渡ったのはキズナが4頭目だった。第1号はディープインパクト。4歳時の2006年に出走し、3位で入線したものの、その後禁止薬物が検出され、失格となった。第2号は2008年のメイショウサムソンだ。5歳で挑み、10着。優勝したのは地元の3歳牝馬ザルカヴァだった。2012、2013年と2年連続で出走したのがオルフェーヴルだ。連続2着となり、日本のファンを悔しがらせた。

 2013年、キズナは凱旋門賞に挑んだ4頭目の日本ダービー馬となったが、初めて3歳の秋に挑んだケースとなった。

 そして前哨戦に選ばれたのがニエル賞である。毎年、凱旋門賞の前哨戦として行われるのがフォワ賞、ヴェルメイユ賞、ニエル賞である。いずれも凱旋門賞の3週前に、凱旋門賞と同じロンシャン競馬場の芝2400メートルで行われる。フォワ賞は古馬、ヴェルメイユ賞は牝馬、ニエル賞は3歳馬とそれぞれ出走条件が違う。キズナが選んだのは3歳馬同士が競うニエル賞だった。

 出走馬は10頭。強力なメンバーがそろっていた。キズナの最大のライバルは地元フランスのフリントシャーだった。7月に同じロンシャン競馬場の芝2400メートルで行われたGⅠのパリ大賞で優勝した実績を持っていた。アイルランドから遠征のルーラーオブザワールドも強敵の1頭だった。デビュー3戦目で英国ダービーを制覇。続くアイルランドダービーこそ5着に終わっていたが、その底力は侮れなかった。

 キズナの陣営に、初めての海外遠征ということ、あくまで凱旋門賞の前哨戦という考えから、目いっぱいのレースをさせる気持ちはなかったはずだ。「試走」「準備運動」ぐらいの思いでニエル賞に臨んでいた。ところが結果は優勝。英ダービー馬ルーラーオブザワールドを短頭差で抑え込む、堂々たる内容だった。スターティングゲートの中で長く待たされたり、慣れないコースを走ったりといういくつもの不安要素を克服し、欧州の一線級と渡り合っての優勝。どこまでも伸びていくような末脚に改めてキズナの底知れない能力を感じたレースだった。

 3週間後の本番・凱旋門賞。キズナと武豊騎手は勝ちにいった。直線の入り口ではオルフェーヴルと体を並べるところまでいった。トレヴ、オルフェーヴル、アンテロに先着を許して4着でのゴールとなったが、再びルーラーオブザワールドやフリントシャーに先着してみせた。

 帰国初戦、4歳初戦の大阪杯でトウカイパラダイス、エピファネイア以下を文句なしに下して、復活をアピールしたが、その後は骨折などもあり、勝てずに終わった。再び海外で走る姿を見たかった1頭だけに、引退には残念さもある。しかし日本ダービー馬としての役割を十分に果たしてくれたと思う。

 日本馬の海外遠征の道を切り開いたのはダービー馬ハクチカラだ。1958年から1959年にかけて米国にわたり、西海岸を中心に17戦した。そして1959年2月23日、サンタアニタパーク競馬場で行われたワシントンバースデイH(芝2400メートル)で見事に優勝を飾っている。その後、ダービー馬の海外遠征はシンボリルドルフ、シリウスシンボリが続き、前述したディープインパクト、メイショウサムソン、オルフェーヴルのほかにもウオッカ、エイシンフラッシュ、ディープブリランテ、ワンアンドオンリーが果敢に海を渡った。2010年以降のダービー馬は5頭ともすべて海外遠征を果たしている。

 日本最高の栄誉に満足することなく、「世界最高」を目指すダービー馬の挑戦をこれからも期待し、応援したいと思う。
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