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第78回 「オグリ」

2017.09.13
 新潟競馬場の名物コース、芝の直線1000㍍を使って行われる第17回アイビスサマーダッシュは7月30日にあり、単勝8番人気のラインミーティア(牡7歳、美浦・水野貴広厩舎)が優勝した。7歳馬がデビュー36戦目で重賞レース初制覇を果たした。重賞レースへの出走は2013年3月のファルコンS以来4年4か月ぶり2度目のことだった。
 ラインミーティアの体の中に、あのオグリキャップの血が流れていることを知ったのはレースから数日たった後だった。スポーツ紙の競馬記者がコラムで取り上げていたのを読み、驚いた。2代母アラマサキャップ(1992年生まれ)がオグリキャップの娘である。

 オグリキャップは競馬ファンを増やしたことでハイセイコーと並ぶ日本競馬最大の名馬だろう。今では当たり前になった、ぬいぐるみになった競走馬の第1号でもある。

 1985年3月27日、のちのオグリキャップは父ダンシングキャップ(USA)、母ホワイトナルビーとの間に誕生した。生まれた直後は体質が弱かったため、牧場では「ハツラツ」という幼名をつけて健康を祈った。

 地方競馬の岐阜・笠松に所属。抜群の強さを誇った。1987年5月のデビューから1988年1月まで8連勝を含む12戦10勝の成績を残した。その後、中央競馬に移籍してからも白星を積み重ねた。ペガサスS、毎日杯、京都4歳特別(現3歳)、ニュージーランドトロフィー4歳S(現3歳)、高松宮杯、毎日王冠と重賞レース6連勝の記録を残した。

 オグリキャップの足跡はクラシックレース未登録だったことが背景にあった。1980年代後半、オグリキャップが中央へ移籍した頃、現在の追加登録制度はなかった。このため皐月賞、ダービー、菊花賞に出走することはかなわず、「裏街道」を歩んだ。とはいえ毎日王冠では3歳年上のダービー馬シリウスシンボリを1馬身1/4抑えて優勝している。

 数々の名勝負を繰り広げ、1990年の有馬記念を最後に引退した。生涯成績32戦22勝。中央競馬では20戦12勝の記録を残し、獲得した賞金の総額は8億8,970万2,000円で昨年末の時点で中央競馬の歴代21位となっている。

 このように現役時代の記録は今も競馬の歴史の中にしっかりと刻まれているが、引退後に種牡馬になってから、その名を聞くことはなかった。残念なことだが、種牡馬としては失敗したのだ。

 16年間に342頭の産駒を送り出し、そのうち中央と地方を合わせて162頭が勝ち馬になったが、重賞勝ち馬はわずか1頭を数えるにすぎない。その重賞勝ち星は1999年に牝馬のフルミネートが地方・荒尾競馬場で記録した3歳優駿(現在の2歳戦)というレースだった。

 中央競馬では計15年間で45勝を挙げただけに終わった。重賞の勝ち星はなく、2着が2度ある。1994年9月4日の小倉3歳S(現小倉2歳S)で牡馬オグリワンがエイシンサンサンの1馬身後ろでゴールしたケースと、1995年10月1日のクイーンS(中山競馬場)で3歳牝馬アラマサキャップがサクラキャンドルに1馬身1/2差及ばなかった2例である。オグリキャップ産駒の牝馬として唯一、重賞で連対を果たしたアラマサキャップがラインミーティアへとつながった。

 アラマサキャップは父オグリキャップ、母ユウコとの間に1992年に生まれた。オグリキャップの初年度産駒のうちの1頭だ。アラマサキャップの12歳年上の兄はビンゴカンタ。1983年のクラシック戦線で活躍し、ミスターシービーが3冠に輝いた中、皐月賞4着、ダービー3着、菊花賞2着と脇役として頑張った。アラマサキャップは2歳から4歳まで3年間現役を続け、16戦2勝。前記のクイーンSで2着になったほかオープン特別の福島3歳S(現福島2歳S)でも3着になっている。繁殖牝馬となったアラマサキャップがオース(IRE)との間に2002年に産んだのがラインミーティアの母になるアラマサフェアリーだった。そしてアラマサフェアリーがメイショウボーラーとの交配で出産したのがラインミーティアである。

 血統の世界から消えかかっていた「オグリキャップ」の名は、その引退から四半世紀たって、よみがえった。オールドファンならずとも、うれしい結果だった。
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