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第93回 「悲願」

2018.12.11
 11月11日に京都競馬場で行われた第43回エリザベス女王杯はリスグラシュー(牝4歳、栗東・矢作芳人厩舎)が優勝し、ついにGⅠタイトルを手にした。チャレンジすること8戦目での悲願達成となった。
 リスグラシューは2014年1月18日、北海道ノーザンファームで父ハーツクライ、母リリサイド(FR)との間に生まれた。2歳時の2016年8月の新潟競馬場でデビューして2着。中1週で迎えた阪神競馬場の未勝利戦で初勝利を挙げた。デビュー3戦目は10月に東京競馬場で行われたアルテミスS。武豊騎手を背にしたリスグラシューは見事1番人気に応えて優勝、重賞ウイナーの仲間入りを果たし、翌年のクラシック候補に名乗りをあげた。

 GⅠ初挑戦は2歳女王を決める阪神ジュベナイルフィリーズだった。メンバー中最速の上がりで最後をまとめたものの、1番人気のソウルスターリングに1馬身4分の1及ばず2着に終わった。これがGⅠでの苦戦の始まりだった。

 3歳になったリスグラシューはこの年6戦して1勝も挙げることができなかった。GⅠレースでの連敗も続いた。桜花賞2着、オークス5着、秋華賞2着、エリザベス女王杯8着。善戦はするのだが、あと一歩が足りなかった。

 4歳になったリスグラシューに少し変化が見られた。輸送をすると体重を落とすなど牝馬ならではの繊細さが弱点になっていたが、その弱点は徐々に解消されていた。6月に東京競馬場で行われた安田記念での体重は448キロだったのが、10月に同じく東京競馬場であった府中牝馬Sに出走した時には460キロを記録した。レースが近づいても飼い葉食いは落ちることもなく、輸送も気にしなくなった。

 そして迎えた2度目のエリザベス女王杯。体重は府中牝馬Sから2キロ増えて462キロ。パドックでははち切れんばかりの体を披露した。レースは中団を進み、最後の直線では、ただ1頭抜群の末脚を繰り出し、逃げ込みを図るクロコスミアを競り落とした。何度もはね返されたGⅠ勝利の壁をようやく乗り越えた。「こんなに強い馬を勝たせられず、悔しい思いをしてきた。今日はもう、うれしいしかありません」と言った矢作調教師の言葉が関係者の喜びのすべてを表していたような気がする。

 1984年にグレード制が導入されて以降、初めて優勝するまでにもっとも数多くのGⅠレースに出走したのはカンパニーだった。2009年の天皇賞・秋で優勝した時、GⅠレース挑戦は13度目という遠回りだった。3歳時の菊花賞がGⅠ初挑戦で、天皇賞を制した時は8歳。長く険しい道のりだった。

 苦労人ならぬ「苦労馬」はカンパニーのほかにもいる。キングヘイロー(2000年高松宮記念、5歳時)は11戦目、ハーツクライ(2005年有馬記念、4歳時)とレインボーライン(2018年天皇賞・春、5歳時)は10戦目で悲願を達成した。

 2005年の有馬記念で大本命のディープインパクトを破って初のGⅠ優勝を飾ったハーツクライはリスグラシューの父。父娘ともに時間はかかったが、8戦目でGⅠのタイトルに手が届いたリスグラシューは父よりも早いうちに念願をかなえた。

 リスグラシューはまた母の無念も晴らしたかっこうだ。

 2010年5月16日、フランス・ロンシャン競馬場(現パリロンシャン競馬場)の芝1600メートルで行われた第123回仏1000ギニーのプールデッセプーリッシュは10頭が出走し、人気薄のリリサイドが先頭でゴールした。しかしレース後の審議で残り400メートル地点で内から外へ斜行したことを進路妨害と判定され、6着に降着となった。

 引退するまで11戦5勝の成績を残したリリサイドだが、最大のチャンスを生かすことはできず、ついにGⅠのタイトルを手にすることはできなかった。もしかしたら母と同じ運命をたどったかもしれないリスグラシューが心身ともに成長し、母娘2代にわたる不運を打破した。

 リスグラシューのGⅠ初制覇には血統的な因縁を払いのける意味もあった。
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