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第96回 「里帰り」

2019.03.12
 アウォーディー(USA)やジャンダルム(USA)など「帰国子女」の活躍はこれまでも目にしたことはある。だが、こんな例に接したのは初めてだった。コパノキッキング(USA)(せん4歳、栗東・村山明厩舎)のケースである。
 その生い立ちは実にユニークだ。牝馬のシャルナ(IRE)がアイルランドで誕生したのは1995年だった。父はフランス・ダービー馬のダルシャーンDarshaan(GB)。3歳時に1勝を挙げたシャルナは引退後の1998年、日本に輸入されて繁殖牝馬となった。2000年に初めての子を出産。2003年にフサイチコンコルドとの間に産んだ第4子の牡馬は、のちにモエレジーニアスという馬名を与えられ、ホッカイドウ競馬に所属した。2005年8月、函館2歳Sに3番人気で出走したモエレジーニアスはアタマ、クビという3頭の競り合いを制し、地方所属のままJRAの重賞勝ちを収めた。函館2歳Sでは1999年のエンゼルカロ(ホッカイドウ所属)に次ぐ2頭目の快挙だった。

 重賞勝ち馬の母になったシャルナは、その後も3頭を出産した。しかし2頭目の重賞勝ち馬は誕生しなかった。2006年にゴールドヘイローとの子を身ごもったまま渡米し、現地で牝馬を出産した。

 2007年に生まれた、この牝馬はセラドンCeladon(USA)と名付けられ、競走馬になった。3、4歳時に6戦して3勝の成績を残して現役を引退した。繁殖牝馬となったセラドンがスプリングアットラストSpring At Last(USA)との間に2015年に送り出したのが、のちのコパノキッキングである。

 コパノキッキングは1歳時にせりに出たが買い手がつかず主取りになっている。翌年3月、2歳になったコパノキッキングはフロリダ州ガルフストリームパーク競馬場で行われたファシグディプトン2歳トレーニングセールに出場した。ヒップナンバー「35番」をつけたコパノキッキングは、最後の1ハロンをこの日の一番時計タイとなる10秒0で駆け抜けた。この走りに目をつけたドクター・コパこと小林祥晃オーナーが10万ドル(約1,100万円)で落札し、輸入した。

 祖母が渡米してから10年あまり。不思議な縁に結ばれて、孫が日本に戻ってきた。

 日本調教馬として初めて米3冠レースを完走したラニ(USA)の場合、渡米したヘヴンリーロマンスが現地でタピットTapit(USA)と交配され、輸入されたものだった。その兄アウォーディーや冒頭に紹介したジャンダルムも同じパターンだ。しかしコパノキッキングのように1代挟んでの「里帰り」は寡聞にして知らない。世界は狭くなったということなのだろう。

 2月17日、フェブラリーSに出走したコパノキッキングは不思議な生い立ちではなくまったく別の意味で注目を浴びた。藤田菜七子騎手がJRAの女性騎手として初めてGⅠレースに騎乗する。その騎乗馬がコパノキッキングだった。

 レースは14頭立てで行われた。優勝したのはケイムホーム(USA)産駒のインティ(牡5歳、栗東・野中賢二厩舎)。スタート直後に先頭に立つと、武豊騎手が絶妙なペースに持ち込み、残り600メートルから11秒6―11秒4という芝並みのスパートを決め、追いすがるゴールドドリームをクビ差抑え込んだ。デビュー2戦目、2017年6月の未勝利戦から7連勝でGⅠタイトルにたどり着いた。

 コパノキッキングは勝ったインティから6馬身ほど離された5着に終わったが、東京競馬場には前年を大きく上回る6万人の観衆が集まり、藤田菜七子騎手に声援を送った。当日夜のテレビニュースはこぞってフェブラリーSの結果を報じるなどダービーや有馬記念にも勝るとも劣らない盛り上がりだった。

 コパノキッキング一族のその後も興味深い。母セラドンはコパノキッキングを産んだ翌年にはインドに渡って、繁殖生活を送った形跡がある。父スプリングアットラストは2015年、サウジアラビアに移籍している。現役時代、地元米国でGⅠのドンHを勝ったほかアラブ首長国連邦に遠征してゴドルフィンマイルを勝ったのが評価されたようだ。

 この話のきっかけになったシャルナはフサイチペガサスFusaichi Pegasus(USA)の子を宿して日本に戻り、2009年に牡馬を出産した後、死亡した。最後の産駒マサノミラコロは大井競馬場で2戦して2着2回の記録が残る。
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