日露戦争のあと、良質な軍馬調達の必要から日本は馬産に力を入れた。各地に置いた種馬牧場や種付牧場らの存在が、それぞれの土地で「馬産の基盤」を築いた......過去を知る皆さんの話や、資料の記述から、そうした流れをここまで振り返ってきた。
ただ、国営牧場のあったおかげで馬産地が成立した、だけでは説明は足りない。状況がわからない。浦河町のHPにわかりやすい一文を見つけたので、ご覧いただきたい。
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鉄道にまるで興味のない人でも、この名前は聞いたことがあるのではないか。
ふるさと銀河線(北海道ちほく高原鉄道)。
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獣医の田中稔先生を訪ねた直後、輓馬(ばんば)の種付けを見る機会に恵まれた。十勝に詳しい知人に便乗する格好で訪問したのは、中川郡本別町にある小さな牧場だった。
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帯広から北へおよそ40キロ、河東郡上士幌(かみしほろ)町までは30分と少しのドライブである。
「えっ、滋ちゃんにも話聞いたの? 元気にしてた?」
昭和9年の生まれとはとても思えない言葉の勢いに、つい引きずり込まれてしまう。
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「新冠周辺になぜ馬産が根付いたかといえば、大元をたどれば、どうやら新冠御料牧場の存在に行きつく」
前回、そのように書いた。
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「歴史が好きか?」と聞かれれば、ハッキリ「NO」と口にする。昔っから、過去に起こったことを学ぶより、この先どうなるのか、と考える方が好きだった。さらに、こうも思っていた。終わったことをあとで知っても仕方ない、と。
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人と接するのは面倒だ。
相手が何か言えば、当然のマナーとしてすみやかに反応しなければならない。時に表情を緩めて相づちを打ち、時に首をかしげて、気の利いた反論を向ける必要がある。実際のところ、とても面倒臭い。けれど、人と接するのは時に有意義だ。
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