人と接するのは面倒だ。
相手が何か言えば、当然のマナーとしてすみやかに反応しなければならない。時に表情を緩めて相づちを打ち、時に首をかしげて、気の利いた反論を向ける必要がある。実際のところ、とても面倒臭い。けれど、人と接するのは時に有意義だ。
結局、生きていく中で、僕らは「自分」という枠をなかなかはみ出せない。自ら気づくこと、気づけることなど、当たり前だがたかが知れている。普段の生活において、「エッ!?」と感じさせる意外な気づきは、多くの場合「他人の言葉」が運んでくる。思いもしない局面を僕らの人生にもたらすことさえある。 だから、面倒臭いのは間違いなくても、僕らは人に会わなければならない。どれだけ、わざわざであってもだ。
馬産地・日高に、中地(なかち)くんという若い友人がいる。
ある時、「ウチの婆ちゃんの話なんですけどね」と唐突に口を開いたではないか。「畑で空襲に遭ったそうなんですよ。燕麦の陰にあわてて隠れたって、言ってたことがあって」
調べてみれば、終戦間近のことだ。1945年7月14日、15日の両日、北海道に空襲があった。米軍機の攻撃は、根室、釧路、室蘭、函館を中心に、ほぼ全道に及んでいる。おそらくはこの両日のどちらかの出来事だろう。
敵機の襲来に、あわてて逃げ隠れる若い女性――。
悲しいかな、本州で生まれ育った僕には「畑で育つ燕麦」をちゃんと想像できない。燕麦の陰に隠れるとは、いったいどんな光景なのだろうか。それでも、若い女性の慌てふためく様子と恐怖だけは、眼前にありありと浮かんだ。その想像は心に沈殿して、正体のわからない澱(おり)を僕の中に作ったようだ。
「で、婆ちゃん、そのあとどうした?」
すぐ僕は質問を返した。
「いや。どうなんでしょうか......」
中地くんの返事は煮え切らない。
「戦後、いつ中地くん家(チ)に嫁いだの? 実家でも馬やってたの?」
「そこらへんもよく知らなくて......」
そう、みんな同じなのだ。相手が身近であればあるほど、その人からちゃんと話を聞いていない。聞こうとしない。ふと、焦りに似た感覚が芽生えた。中地くんのお婆さんの話は、誰かが聞き取り、記録に残さないかぎり、消えてなくなる種類のものだ。おそらくはあっという間に時の流れに埋没してしまう。そう思ったのである。
僕の焦りの一番の理由は、両親が中地くんのお婆さんと同年代であるからだろう。ありがたいことに両親は元気だが、一方で人生の終わりが近づいているのは間違いない。戦中・戦後を知る人の記憶は間もなく消えてしまう。そうした現実が実感を伴ってわかるのだ。
中地ハルエさん、79歳。
中地くんのお婆さんである。昭和7年に生まれ、13歳で終戦を迎えた。
「私の家はね、門別にあったんですよ。畑はもちろん、味噌を作ったり、当たり前だけど、あの頃からしっかり働いてた。燕麦がだいぶ伸びてたから、きっと7月くらいだよね。あの日は、豊郷あたりで朝からパラパラ音がしたの。ああ日本の飛行機だわって思って、旋回してきた飛行機に目をこらしたら、日の丸じゃなくて、相手(米国)のマークが付いてるんだよ。違うわってビックリして。みんなして、慌てて燕麦の脇にもぐりこんでね」
燕麦が伸びると、倒れないよう土を寄せて、土台を高くするという。だから、並んだ燕麦と燕麦の間に、溝に似た隙間があったのだ。ハルエさんたちはそこに身を伏せた。
「でもね、馬(農耕馬)はそのままにしてたから、上から見れば、そこに誰かいるなってわかったと思うんだよね。豊郷の駅を狙ったみたい。私らは山の方にいたけど、旋回すると、ちょうど畑のあたりになるんだね。(戦闘機を)見たのはその一回だけだね」
豊郷駅は海の近くにある。
戦渦を逃れたハルエさんは、昭和29年、新冠の中地時雄さんに嫁いだ。
門別の実家では、水田で米を主に作ったが、中地家では畑作が中心だった。水田のヌルヌルが嫌いだったから、畑を見た時にはホッとした、とハルエさんは言う。だが、戸惑いもあった。食事である。それまでの米中心の食生活から一転、ヒエを食べることになったのだ。時代背景からして幸せというしかないが、ハルエさんはそれまでヒエを口にしたことがなかった。
――どうやって食べるんだろ。ひどいとこ来ちゃったかなァ。
そう思ったものの、もちろん我慢するしかなかった。
中地家にアラブ馬がいた。
夫の祖父母は共に馬が好きだった。とりわけ、お婆ちゃんにこんな逸話が残っている。
「ここのお婆さんは馬が好きで、農耕馬に乗るのが上手だった。ある時ね、草競馬やったら、なんか女が一人乗ってるぞって、みんなが騒ぎ出したって。先頭を走ってたのが、ウチのお婆ちゃんだったって(笑)。私が来た時、70ちょっと前だったかな、それでもポンと馬に乗るの。で、私にも乗りなさいっていうけど、なかなかできなくてねェ」
ハルエさんの実家に農耕馬はいたが、いわゆる軽種馬には触れたことがなかった。
「当時からアラブが。早いですねェ」
僕が驚くと、ハルエさんはこんな言葉を返した。
「だってほら、この近くに御料牧場があったから」
その返事を呑み込もうとして、言葉がノドにつかえた。
ん、御料牧場......?
また何か、僕の心が反応した。
(つづく)
*編集部注......取材者の発言内容は、可能なかぎり史実と照らし合わせ、内容を確認してから掲載していますが、現存する当時の資料は少なく、一部に記憶違いが含まれている可能性もあります。ご了承ください。