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北海道馬産地ファイターズ

村本浩平 北海道馬産地ファイターズ

第113回 『脚本家求む!』

 2月中旬、昨年のセレクトセールにおいて名刺交換をさせていただいた、JRA職員の川島利一郎氏から、メールが届いた。

 この時期における職員の方からのメールといえば、異動を知らせるものがほとんど。以前は浦河で勤務されていた川島氏が、北海道に戻ってこられるのでは、と思いながらメールを開くと、あるイベントの知らせだった。

 「様似町にて、町内で生まれた函館大経にまつわる講演を行うことになりました。当日は競馬評論家の田島芳郎氏もお招きして、昨今の新史料から判明した地元との関わりや、語られていなかった功績についてもお話しする予定です。当日のご都合がよろしければ、ご取材いただければ幸いです」とそのメールには書いてあった。

 函館大経がどのような人物だったかは、賢明なるホースマンの皆さんなら、周知の事実であろうということで、ここでは割愛させていただいて...という訳にはいかないだろう。

 一般的に知られている函館大経像としては、
・武豊騎手にも繋がっていく、日本競馬の調教師や騎手の源流となった人物。
・函館競馬の発起人であり、現在の函館競馬場の設立にも多大な貢献を果たした。

 といったところだろうか。しかし、この講演を聴講して、少しは知識を広げた者として説明を加えると、
・様似で生まれた後は函館へと渡り、そこで西洋馬術を学び、西洋馬術のパイオニアとなっていく。
・馬術の腕を見込まれて、横浜仏語学校の馬術教育を手伝っただけでなく、幕府伝習騎兵隊の教官となり、第15代将軍徳川慶喜の警護にも当たる。
・靖国神社で行われた招魂社祭礼競馬では、外国人の乗り役たちを差し置いて見事に優勝。
・その頃に奉行所があった場所にちなんで、「函館」に改姓する(実は函館を名乗る前の名字は斎藤!)。
・ナポレオン三世が幕府に送ったアラビア馬26頭を水戸で発見して保護しただけでなく、その中の1頭の富士越という馬こそが、招魂社祭礼競馬の騎乗馬だった。
・道内の七飯町と札幌の真駒内で近代的な馬産を始めただけでなく、北海道和種馬(ドサンコ)を確立させた。

 などのあまり知られていなかった功績(自分だけかも知れないが...)も、川島氏や田島氏によって語られた。

 この日の会場には約100人の聴講者が集まっていたが、その中には知人の牧場スタッフの姿もあった。「ここに住んでいながら、田島さんの話が聞けるなんてそうそう無いことですし、函館大経についても、ここまで深く調べられていたとは驚きました」とそのスタッフは話す。確かに、これまで語られてきた函館大経像以外と言える、様々なバックボーンや、当時の歴史背景が見えてきたことで、より興味深い人物としてもとらえられるようになった。しかも、川島氏の発表で語られた、函館と様似との海路による交流は、母親が函館生まれである自分にとっても非常に身近に思えてきて、「ひょっとしたら様似町に母方の親戚がいたり、あるいは函館大経と繋がりがあったとするなら、自分は競馬の仕事に関わるDNAが刷り込まれていたのかも!」と勝手にテンションが上がっていた。

 講演の最後には、聴講者からの質問コーナーが設けられていたが、その際、函館大経の子孫に当たる方からも、2人の発表を裏付けるような話も出てくるなど、更に函館大経に関する研究や、新たな事実確認への広がりを感じさせていた。

 2時間を超える講演を聞き終えてからふと脳裏をよぎったのは、「函館大経の話は、いいドラマになるなあ」との思いだった。

 斎藤源吉、ハル夫婦の四男として生まれ、4歳で池田勝右衛門の養子となり函館へと渡った少年期。フランス人のプリーから西洋馬術も学び、ホースマンとして成長していく青年期。その頃のクライマックスと言える、愛馬、富士越に騎乗しての招魂社祭礼競馬優勝。

 壮年期のエピソードとしては、北海道で馬産を始め、開拓にも多大なる貢献を果たしただけでなく、函館から数多くのホースマンを輩出し、その教えを受け継いだのが武豊騎手となった、という話は、とても出来すぎであり、むしろ、競馬を知らないであろう多くの人の方にこそ共感を呼ぶはずだ。

 このドラマの脚本を書ける方が、読者の中にいらっしゃったら、川島氏や田島氏と歴史的背景を再度調べ直したり、様似町や函館市、七飯町でのフィールドワークをしていただいた上で、新たな史実もまとめあげていただけると、素晴らしいドラマが作れると思うのですが...。自分がやろうかな?