JBIS-サーチ

国内最大級の競馬情報データベース

第126回 『ホース・スピークPARTⅡ』

2019.06.19
 前回のコラムで書いていた通りに、今年の2歳馬取材からは「耳立て」ではなく、「耳向け」との気持ちを持ちながら、馬の斜め前へと立ってきた。
 では「耳立て」と「耳向け」との違いだが、個人的な感想としては、人が恣意的に馬の顔や耳を向けさせるのが「耳立て」。馬との意思疎通を図りながら、馬が自ら顔や耳の位置を決めてくれるのが「耳向け」だと思う。

 これを読んで、そんな理想論があるなら立ち写真に苦労しないよ!と思われている方もいらっしゃるはず。実際に立ち写真の現場では「耳向け」ではなく、「耳立て」が行われている現状も理解している。しかも集中力の無い馬や、人間に反抗心を持っている馬は、まず、ハンドラーの指示を受け入れようとしないので、軸を決めるどころか、立ち止まることすらままならない。

 その上、ようやく軸が決まり、4本の脚が正しい位置に置かれたところで、うるさい馬の場合は、そこから耳を立てる人間に、馬の注意を切り替えるのもなかなか難儀なことである。様々な音を鳴らしたり、派手なアクションを取ろうとも、結果としてほんの一瞬しか、正しい首や耳の位置が来ていないことがほとんどなのだ。

 それでも、写真が上手く撮れていれば問題は無い。ただ、恣意的な耳立てを行った際に起こるのが、驚きや緊張のあまりに馬の首に力が入っていたり、写真撮影の後に、「なんか驚かせやがって!」とでも思うのか、ハンドラーが動いた瞬間に、暴れ出す馬もいる。

 一度、首に力が入ってしまった馬をリラックスさせるのは、多少なりとも時間を使うことになり、その間にせっかくの正しい脚の位置がずれてしまう可能性もある。また、いきなりスイッチが入ったかのように暴れ出した場合には、人馬共に危険が伴う。

 そんな時、ホースメッセのグランドワーク講座で、ホースクリニシャンの宮田朋典氏が行っていた、馬とのコミュニケーションの取り方や、馬とのコミュニケーション方法が詳しく書かれた「ホース・スピーク」を、宮田氏と共に監訳した宮地美也子さんとの意見交換を通して、実践してみたい行動があった。

 その行動が何かは、「ホース・スピーク」を読んでいただきたいのだが(笑)、実際にその行動を立ち写真の撮影に出てきた馬に試してみると、見るからに大人しい馬だけでなく、立ち止まるのも難しいような馬でも、同じような対応をこちらに向けてくれたときには感動した。

 しかしながら、そこから「耳向け」へと、気持ちを向けていく答えを見つけるまでには行き着かなかった。ただ、馬自身がハンドラー以外にも、自分(馬)と意思疎通を図ろうとする人間がいる、との認識を持たせることはできており、脚を作っている段階でも目が合う回数は間違いなく増えていた。それが可能となった馬の中には、何らかの音を出さなくとも、呼びかけただけで顔や耳を向けてくれたのも事実である。その時の自然な首の角度や、自然な表情などが、「耳向け」の目指すところである。

 ただ、コミュニケーションを図ったがばかりに、馬自身がハンドラーではなく、その向こうにいる自分の指示を仰ごうと思うかのように、こちらに歩み寄ってくる馬も何頭かいた。その関係性をリセットするために、目をそらしたり、馬との距離を取る必要も出てくる。いい距離で付き合っていくというのは、人も馬もなかなか難しいのだなあと、その時に考えたりもした。

 先ほども書いたように、限られた時間の中で、瞬間を切り取る撮影に関しては、「耳立て」が優先されるべきだとは思う。ただ、オーナーや調教師に送るような、毎月のポートレートなどに関しては、「耳向け」を意識しながらコミュニケーションを図っていけば、いずれ、馬自身もその行動を理解してくれるのではないかという気もしてくる。

 美しい立ち写真は、馬の姿をより素晴らしく見せる一方で、馬自身にとっては全くメリットを感じていないはずだ。だからこそ、人とのコミュニケーションを取る喜びや楽しさを、立ち写真の中で与えていくのが、「耳向け」の最終目標とも言える。

 馬自身が正しく脚を置き、表情も凜々しく、耳や首の角度もバッチリの写真を撮れたのなら、それは最高の立ち写真であり、そこでポーズを決められたことに対しても達成感を持ってくれたのなら、馬自身にとっても、立ち写真の撮影はメリットとなっていくはずだ。

 そう考えていくと、まだまだ「耳向け」の道は長い。2歳馬の取材も終わり、立ち写真の現場に赴くことも少なくなったが、機会があれば「耳向け」を意識しながら、馬の斜め前に立ち続けていきたい。

トップへ