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架空名馬生産牧場 ギャラクティカ・ファーム

綱本将也 架空名馬生産牧場 ギャラクティカ・ファーム

第19回 The Great Escape

馬名:エスケープマーチ
毛色:栃栗毛
父:ゴスホークケン
母:ディアジーナ
母の父:メジロマックイーン
クロス:なし
生涯成績:76戦3勝
主な成績:新潟記念(GⅢ)

 『エスケープマーチ』という馬名はおそらく、父ゴスホークケンのさらに父であるBernsteinと、母ディアジーナの父であるメジロマックイーンから連想され名付けられたものに違いない。
 スタントに頼らないアクションで世界を熱狂させたアメリカの名優スティーブ・マックイーンが主演し、数多くの映画音楽を手掛けた20世紀のアメリカを代表する作曲家であるエルマー・バーンスタインが担当した、娯楽映画の金字塔『The Great Escape(邦題:大脱走)』のメインテーマが『The Great Escape March』であるからだ。

 その名の通り、エスケープマーチは2歳から9歳のその競走生活を逃げに逃げた。

 夏の札幌の2歳新馬戦で逃げ切ったのを封切り、いや皮切りに彼の脱走生活が始まった。2戦目のコスモス賞もハイラップでの逃げ切り、続く札幌2歳S(GⅢ)では堂々の1番人気に推された。ハイラップを刻んだ逃げは惜しくもゴール直前で捕まり2着だったものの、その余りあるスピードは、「気性が大人になれば十分にクラシック候補」との評価を受けた。

 しかし朝日杯2歳S(GⅠ)を逃げ切った後、暴走気味に逃げては潰れるレースを繰り返した父ゴスホークケン同様、「大人しく」してはいられず、以降73戦にわたってハイラップでの脱走を繰り返した。結果として引退レースとなった新潟記念(GⅢ)を逃げ切るまでの72回の脱走は、すべて失敗に終わり、そのたび連れ戻され、長い長い捕虜収容所生活を送った。
 しかし彼は、スローペース症候群が蔓延した日本の競馬界では特異な存在で、脱走の成否に関わらず、彼はレースをスリリングなものにしていった。彼の成績を示す馬柱に『S』(スローペース)という文字はどこにも見当たらなかった。

 身体が頑強で故障知らずで体調の変動も少ないタイプだったため、あらゆるコース・距離で、彼は非常に多くの脱走を試みたが、あわや脱走が成功しかけたのは、ほぼ「平坦で直線の短い芝の中距離」コースに限定された。それ以外のコースだと早々と観念し、直線入り口で捕まるレースを繰り返した。
 そのため競走生活の後半はもっぱら、得意である「平坦で直線の短い芝の中距離」コースでの重賞・オープンレースへの出走となり、函館・札幌・福島・小倉で行われた古馬の芝中距離重賞・オープンにすべて出走するという記録も打ち立てた。

 8歳から9歳夏の終わりの新潟記念前まで、彼は18戦連続して二桁着順に甘んじていた。ハイラップでの逃げは健在だったが、バテるのが早くなり、直線では「歩く」ことが多くなっていた。すっかり収容所生活に慣れ切ってしまったかに見えたが、実はそうではなかった。彼は大人しい捕虜を演じていたのだった。最後の、一度きりの『大脱走』を成功させるために。

 新潟記念では最低の18番人気での出走。年齢と成績を考えれば妥当だろう。しかも新潟記念は外回りコースで直線が長い。過去の彼の新潟での脱走歴を見ても二桁着順が並んでいる。人気になる要素は皆無であり、彼に対する警戒もほぼ無きに等しかった。
 いつもより彼への警戒が薄い中、いつものように真っ先にゲートを飛び出した彼は、いつも以上に速いラップを刻む。いつものように彼が直線で「歩く」ことを知っている看守たちは誰も追いかけていかない。「どうせ、自分から戻ってくるだろう」と言わんばかりに。
 有力馬が差し・追い込みに偏ったこともあり、彼の遥か後方では互いに牽制し合い一団が形成されていた。彼とその一団の差は開くばかり。彼が直線に入った時、一団とは40馬身の差がついていた。
 残り600m通過でのラップタイムは81秒フラット。1400mを1分20秒で通過したのと同じである。当然そこから彼の足取りは重くなってきた。しかしまだまだ後方集団とは30馬身以上の差があった。
 彼は残りの600mを40秒フラットで歩くように走った。ラップは12.5-13.0-14.5。最後の200mは完全に歩いたが、残り3ハロンを32秒台で追い込んできた追手をハナ差しのいで大脱走を成功させた。

 芝の中距離重賞を名作にし続けてきた名脇役は、自身最後の出演作で大脱走を成功させ、長い長いグリーンカーペットをゆったりと歩いて、主演男優賞の授賞式へと向かった――。


 ちなみに映画『大脱走』は史実を基に作られたもので、史実によると脱走した連合国軍兵は76名で、実際、無事に帰国の途につけたのはわずか3名と言われている。