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第174便 人,いとしき日日よ

2009.06.01
 5月8日,金曜日の夜,横浜の港に近いホテルで,私流に言うと「ルナアル先生を偲ぶ会」があった。ホテルの案内板は,むろん本名での表示だ。
 註釈をすると,その工学博士を「ルナアル先生」と呼んでいたのは私だけで,偲ぶ会に出席した私以外の誰もが,「ルナアル先生」なんて知らない。

 彼と私は,鎌倉駅に近いバーで10年来の酒場友だちだった。或る晩に彼が,「ぼくは子どものころに赤ら顔で薄いソバカスがあって,にんじんというアダ名がついてたんだ。それを思いだしたのは最近で,それから本を買って,聖書のように読んで,いつも鞄に入れて歩いてる」

 そう言って一冊を見せた。古書店で買ったという一冊は「三笠版・現代世界文学全集1」というので,1953(昭和28)年発行。訳者が岸田國士の,ジュウル・ルナアル「にんじん」である。「にんじん」のほかに,「葡萄畑の葡萄作り」,「博物誌」,「晩年の日記」が収まっていた。

 それで私は,「にんじん先生」とか「キャロット先生」とか面白がって呼んでいたのだが,どうもスワリが悪く,「ルナアル先生」にしたら落着いた。

 そのルナアル先生が病魔に襲われ,2008年5月に68歳で遠方に行ってしまったのだ。偲ぶ会の案内をもらい,娘さんからスピーチをよろしくと電話をもらってから,何度も何度も考えつめることが私に生じ,悩みにすらなってしまった。
 
 ルナアル先生が私以外にはヒミツにしていた,馬券のことをスピーチで言うべきかどうか,それが問題なのだ。言わなくても済むことなのだが,「ぼくが死んだら,たぶん家内や息子が,ぼくのまわりにいた人たちと,お別れ会とかするんだろうね。頼みがある。マコさん(彼は私をそう呼んでいた),そんなことがあったら,馬券の話をして,ぼくの仲間をおどろかせてやってよ」と病院でルナアル先生に言われたのが私の頭に残っているのだ。

 「連れて行って下され」と言われて私は,ルナアル先生と,2度,競馬場へ行っている。私が記録している競馬ノートによれば,1度目は2004年5月15日の東京競馬場。

 『第10R高尾特別で,ルナアル先生,名前が面白いとオリヴァー騎乗のノーコメントの単勝を2000円買い,それが勝って1830円のオッズ。大コーフン』と記録されている。

 2度目は2007年4月28日の東京競馬場。
 『第10R石和特別で,ルナアル先生,えらいこっちゃ。ぼくの青春は仙台だ,モリノミヤコだ,と柴山のモリノミヤコから500円ずつ馬単を10点も買い,そのなかに2着ヤナギムシがあって,配当9万2500円。しばし息苦しそうに,競馬場の空を眺めていた』と記録されている。

 ルナアル先生は毎月,3万円を同封した手紙をおくってきて,買いたいレースがあると電話をしてきた。理由はわからないが,馬券を買っているのは誰にも内緒で,「知っているのはマコさんのみ。よろしく」と笑っていた。

 偲ぶ会が10日後に迫り,私としてはスピーチで馬券の話をしようと決めたのだが,別な悩みが生じてきた。そこでいきなりというのは,学者仲間や仕事仲間はともかく,奥さんや娘さんや息子さんにとっては,どうなんだろう,と私は気になりはじめてしまったのだった。

 「そんな話,やめておいてほしかった」とあとで言われるかもしれない。
 「おどろかせてやってよ」というルナアル先生の頼みはあるものの,しかし,家族の人たちの思い方も気にしなければならないのではないか。

 考えつめて,私は結論を出した。
 「ご相談があるのですが」と電話をし,私の家からは車で20分ほどのルナアル先生の家を初めて訪ねて,打ちあけてみることにしたのだ。

 「ぼくは先生を,ルナアル先生と呼んでいました」それを先ず言ってみた。奥さんも学者の息子さんも画家の娘さんも,「にんじん」の話をまったく知らないのだった。
 「そして,この先が大問題なのですが」思い切るように私は,ルナアル先生と馬券の話をし,病院での「頼み」も伝えた。私がびっくりしてしまった。奥さんも息子さんも娘さんも,あまりびっくりしないことにである。「主人は変人でしたが,家庭人としては平均点をとってくれていました。いろんなヒミツはあるんだろうなって,想像はしてましたわ。自分が死んだら,この人には必ず知らせてほしい,という人が二人おりまして,それがお酒のお仲間で,おひとりがヨシカワさんでした。わたしは,こんなふうに,わざわざおいでいただいて恐縮です。うれしいです。どうか,主人の仲間たちを,びっくりさせてください」と奥さんが言い,

 「にんじんと競馬って,つながってる」と娘さんが笑い,「たぶん,おやじさん,ヒミツでやってないと,競馬も楽しくなかったんだと思う。にんじんを読むのも,知られたら面白くないんだ」と息子さんも笑った。

 5月10日,NHKマイルC。夏めいて汗ばむ日,東京競馬場内のケヤキ並木の,日蔭のベンチで休んだ。ベンチの隅っこに私,同じベンチの隅っこに老人がいて,「もうダービーが近づいちゃったねえ」と話かけてきて,
 「イギリスのチャーチルが,ダービー馬の馬主になるのは一国の宰相になるよりむずかしいって言ったが,ずうっとさ,休まずに馬券を買い続けるってのも,むずかしいことよな」そう笑うので,「握手したいセリフだなあ」と私も笑いかえした。

 NHKマイルCはジョーカプチーノが勝った。ハッピーネモファーム,ちょっと私も縁のある根本明彦さんの生産馬である。地下馬道で,涙あふれる根本さんと握手をすると,根本さんの手は涙と汗でぬるぬるだった。府中の酒場で数人の馬好きと会う約束があり,大国魂神社を抜けるあたり,馬の仕事はすべて手のひらを使うし,あの根本さんの右手のぬるぬるは,手のひらが泣いていたのだと思った。

 待っていた数人のなかに,八王子市に住んでいる銀行員だが,実家が浦河の牧場だという男がいた。酒をのまぬと静かだが,酔うと人が変わったみたいに絡んでくる。

 「手のひらが泣いてた」と言った私に,
 「そんな話をしたって,うちの実家なんかには,何の意味もないんだ。要は,馬を買ってくれる人かどうかしか,生産者にとっては意味がないんだ。手のひらが泣いたとかなんとか,そんなの,なんの意味もない。そんなことより,馬を買えるカネモチを,生産地へ連れていくしか,意味がない」と絡みはじめた。

 私はルナアル先生や,ケヤキ並木のベンチにいた老人を思いだし,この人たちの話を,目の前で絡んできた男に伝えてみてもムダなんだと思った。

 「競馬にはよ,今日,競馬場に来てた,あんまりカネを持ってない人たちも,重要な意味を持ってる。みんな,手のひらが,泣いてるか,汗をかいてるか,意味がある。あなたの言う,カネのない人が,背中を向けちゃったら,競馬はどうなるの?」

 それだけ言って私は黙り,この絡み屋の銀行員の思い方と,同じような思い方をしている日高の生産者って多いのかもしれないと思い,「人,いとしき日日よ」が馬券で,それが競馬を支えてるんだろうと思った。
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