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第173便 桜川

2009.05.01
 ニュージーランドTがメインの日の中山競馬場。まだ午前の,快晴のパドックで声をかけられた。北海道浦河のAクンだった。私はAクンの父とはつきあいがなく,祖父と仲良し。中学生だった孫のAクンを連れた祖父が私の家に泊まったこともある。
 大学を出て2年ほど東京でサラリーマンをしていたAクンは,祖父が亡くなった実家に戻り,牧場の仕事についた。それから数年が過ぎている。賀状のやりとりぐらいしかしていない。

 「馬,走るの?」
 「それならいいんですけどね,大学時代の親友の結婚式が,明日,新宿で」
 「あなたは?独身?」
 「不景気な牧場に来てくれないですよ」
 「何歳になった?」
 「30を出ました」
 と言うAクンとレストランへ行った。
 「ヨシカワさんは運がいいですよね」
 「どうして?」
 「このデジタル化の時代の進化で,だんだんと競馬も,雑誌なんか不要になっちゃいますよ。もう活字で何かを伝えるなんて終わってるんでしょう。まだ少しはアナログが仕事になる時代が残っていて,運がいい」そうAクンに言われて私は,いきなり殴りかかろうか,いきなり消えてやろうか迷いながら,「君に声をかけられたのは間違いなく不運」と言いたいのをガマンして,ほとんど無言でサンドイッチを食べた。

 翌日は桜花賞の日。東京駅八重洲口のブックセンターに用事があり,そこからウインズ銀座へまわり,午後3時30分発の特急高萩行に上野で乗った。友部で下車,水戸線に乗りかえて岩瀬へ。そこからタクシーで桜川磯部稲村神社へ向かうのである。

 李麗仙の一人芝居「桜川」が午後6時開演なのだ。原作・世阿弥元清。演出・笠井賢一。琵琶・岩佐鶴丈。翻案・鶴木遵である4月29日に富士吉田市の富士浅間神社,5月9日には八戸市の蕪嶋神社でも公演される。李麗仙も鶴木遵も競馬友だちだ。特急が江戸川を通過したあたり,デッキに行ってラジオを耳におしつけたが雑音ばかり。3時50分に柏に停車で友だちにケイタイをかけ,

 「半馬身だけどブエナビスタの楽勝」と桜花賞の結果を知った。今朝,家を出る前,今日の旅のおともの本を選ぶうち,昨日の中山でのAクンがちらつき,「アナログでまいりましょう」と思った私が手にしたものは,昨日もらった一通の手紙だった。千葉県富里市に住む大野きよからの手紙である。

 大野きよと私は長年の手紙友だちだ。保存袋から,ほかの何通かも集めてバッグに入れた。景色を眺めるのが好きで,たいてい本を持っても読まずにいるが,持っていないと心細い。今日は本でなくて,手紙になったが,「デジタル化の時代の進化」とか言ったAクンへの反発のようだった。

 『花の候となりました。としのせいか,京都の桜,千鳥ヶ淵の桜,もとの三里塚御料牧場の桜,千葉の社台ファームの会員(ターファイトクラブ)さんの花見の集い,錦岡の営林のなかにひっそりと咲いていた山桜,「散る桜残る桜も散る桜」と散っていった若い人たちのことなど,生をうけて八十年もたちますと,花ひとつにも様々な想いが残るものでございます。

 「きよちゃんのいまわのきわ」とでも題して,昭和の初めからの様々のこと,記録しておきたいもの,と思いましても,やはり文才がないと意に添わないものでございますね』いちばん最近の便りである。車窓に目をやると,さくら川と看板の立つ川を渡って,すぐが土浦だった。そうここにも航空隊があって,太平洋戦争とは関係の濃い土地だなあ。今は私にとって,美浦トレセンへ行くときの経由地だけど。

 土浦を過ぎると車窓の景色はいちだんと野畑をひろげ,あちこちに山桜の色がふくらんだ。

 平成20年2月10日の消印を読む。
 『立春の候と相成りました。千葉ではめずらしく雪の朝をむかえ,錦岡時代の雪を思いだしたりします。千代田牧場の飯田正様,善哉社長の一の子分の池田喜久男さんと,昭和二年生まれのお二人が相次いで亡くなられ,だんだん順番が来そうでございます。「おお,あんたも来たかい」などと大声でむかえてくれそうな善哉社長が目に浮かびますが,新しい年になりましたから,気をとり戻しまして,生ある限り,前進しなければならないでしょうね』

 平成20年3月30日の消印を読む。
 『花,咲きほこりました。西宮の女学校のお友達数人と,東京の桜を見た千鳥ヶ淵を想いだします。さきほど読みましたあなたの文章に小西喜蔵先生のお話があって,私の父とも知り合いの仲で,千葉せり市にいつもお出下さって,「おれが死んだら線香をあげに来てくれよな」とおっしゃっていられたのに,とうとう伺えないままになりました。ずいぶん長い年月が過ぎました』

 平成20年8月17日の消印を読む。
 『七月も半ばをすぎますと,京都では祇園さんの宵山をむかえます。なぜか夏になると京都がなつかしい。鴨川に張りだした川床や大文字やら,なつかしさが老頭をかけめぐり,一時でも本物を味わってきたのは幸せです。先日,浅見秀一先生が,レジネッタ号の桜花賞のクオカードを送って下さいました。幼稚園のころにお別れしたままなのです。ああ,なつかしい。足もと覚束ない日々,「きよちゃん,アレ,どうした?」という善哉社長の声がまぼろしに聞こえます。アレで何かを直感しなければ用が足りなかったことなどもなつかしい。お盆なので』

 平成21年2月13日の消印を読む。
 『昔風に言いますと紀元節。世の中の変動におかまいなく,季節はどんどん変わっていて,何年も前に成田山の節分の豆まきを見て感動いたしましたが,鎌倉の八幡さまのお豆が届いて,思いがけなく,うれしくて,槙の枝といっしょに,父と善哉社長の写真にお供えしました』私が鶴岡八幡宮の豆まきに招待されたので,その時の豆を送った。槙は,21年正月,高野山に行ったときの土産に,高野槙を送った。
 『槙を見ていると,いろいろ想います。大野家は川越藩の流れで,蔵の中には三双の屏風や昔の絵などが今でも入ったままのようです。私の家系は,紀州藩の田辺あたりで廃藩置県の時に貰った土地を,三日三晩の雨で流され,もと武士数名を連れて北海道に渡ったそうです。長男だった父が五,六才で乳母におぶわれて洪水の中を逃げたこと,蔵の長持の中に刀が一杯入っていたことなど,父の小さな心に記憶されていたようでした。母親ともその時に生き別れだったようです。成田でも御料牧場が空港になって,世の中は変わるものなのですね』

 平成21年3月23日の消印を読む。
 『春の彼岸をむかえ,日本中が桜の花で飾られるのが間近となりました。鵡川から送っていただく小豆で粒あんを作り,おはぎにして,両親と善哉社長の蔭膳にお供えしました。「きよちゃん,今日のおはぎ,うまかったぞ」と声が聞こえそうです。和子奥様のキストゥヘヴン号も有終の美を飾りました。拍手をおくりました』

 社台ファームで働き,軽種馬協会千葉県支部で働いてきた大野きよの手紙をおともにして,「Aクン,デジタルもアナログもないよ。おたがい,自分の仕事を精一杯しようよ」と思いながら,開演間近の神社に着いた。

 今まさに咲きほこった山桜の大木の下,はらはらと散り舞う花びらを絵にして,懸命に演じる李麗仙を見ていた。境内の客のほとんどは,この土地の老男老女。ひとときの夢に酔っているようである。

 あたりは一面の闇,唯一の明りの岩瀬駅にどうにかタクシーで戻ると,友部行きまで40分待ち。やっと友部に来たが,水戸と赤塚間で人身事故のため,特急は運転見合わせ。長い停車時間の土浦駅のホームで缶ビールとじゃがりこにありつき,電車のかすかな揺れと空間に疲れをあずけてつぶやいた。
  
 「おれも,今,一人芝居,やってる」
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