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第172便 トシザブイとツキサムホマレ

2009.04.01
 「しょうがねえなあ,こんなとこにシケこんじゃって。ペコちゃん,泣くぞ」ベッドに寄せた丸椅子に腰かけて私が言い,
 「ナサケなくて,ヘもナミダも出ねえ」とクボちんがベッドで言い返した。
 7歳下の大工,久保和夫を,私はクボちんと呼んでいる。横浜の病院の5階の2人部屋だ。廊下の側の老人はどこかへ行っていて,ベッドがからっぽだ。

 窓に雨がぶつかってくる。1日おきに降ったり晴れたり,変な3月だ。「ペコちゃんだなんて,なつかしいことを言ってくれるなあ。泣けてくる」天井へクボちんが言った。「泣けてくるって,まだナミダが品切ってわけでもなさそうだ」と私は笑い,そういう言い方をしないと,クボちんが元気でなくなっちゃうと思うのだ。

 「ペコちゃん,トンコちゃん」言ってクボちんは笑いかけ,「ペコちゃん,トンコちゃん,マコトちゃん,カズオちゃん」とつけくわえた。マコトちゃんは私である。声のでかい男だったのに,ずいぶん小さな声になっちまったな。体もでかかったのに,半分ぐらいになっちまった,と私はクボちんを見ながら,悲しい顔をしてはならんぞと意識をした。

 「もう何年になるかね,熱海の思い出」そう言った私に,クボちんは両手をひらひらさせ,「トシザブイ」と声を張りあげるようにした。1999年11月20日,東京競馬場でのことである。第9R晩秋特別,4歳上900万下,芝2400,12頭立て。私もクボちんも第8Rの馬連1900円が1000円当たって気分はハイ。

 「天国のかあちゃん,トシザブイを買ってやるか。馬番12。命日は9月12日」とクボちんが言いだし,いいねいいねのノリで,⑨-⑫を私もクボちんも2000円買ったのだった。2年前に死んだクボちんの女房の名がトシ。「いっぱい名前を呼んでやんなよ」と私は冗談を言ったが,レースの流れが直線にやってくると,私とクボちんは冗談でなしに,「トシ!トシ!」と連呼した。

 ロバーツ騎乗の9番人気トシザブイが1着である。おまけに2着が9番のインタープロスパー。吉田騎乗で4番人気だった。「馬連⑨-⑫,9850円」私もクボちんも,配当のアナウンスに酔い痴れた。半月後,ふたりで熱海へ行ったのである。座敷へペコちゃんとトンコちゃんが来て,のんでのんで,さわいでさわいで,めっちゃくちゃ。

 トシザブイがくれた夜,熱海の夜を,私とクボちんは何度思いだしてきたことか。「ペコちゃん,トンコちゃん」は,私とクボちんの,バカバカしくも美しい合言葉なのだ。看護婦が入ってきて,クボちんに声をかけて行った。ああ病室,ああ熱海,ああ人生。歌うように私は思って,目をつぶったクボちんを見ていた。「弥生賞だね」とクボちんが目をあけた。

 「ハイセイコーが出る弥生賞に行ったよなあ。中山へさ。子供が生まれた年なんでおぼえてるんだ。昭和の48年。おれ,30」
 「わたしにも30歳のときがありました」そう言って私は,窓にぶつかる雨を眺めた。
 「そのな,その,ハイセイコーの,弥生賞の次の年,息子を見せに実家へ行ったんだよ,函館に。ツキサムホマレ。ツキサムホマレ,おやじ,トミオで,同じ名前の横山富雄のファンで,函館記念の,横山富雄のツキサムホマレをごっつく買って,勝ったんで大さわぎだったなあ。ツキサムホマレ。次の年も函館記念を勝ったんだ。忘れもしないのは,おやじが死んだの,ツキサムホマレが函館記念を2度目に勝った日だったからね」「ツキサムホマレ」と私も言ってみた。

 クボちんが寝たままで,枕の下から封筒を出し,そこから1万円札を抜いて,「弥生賞,横山の馬を買ってよ,単勝」と私に渡し,
「全部?」私に聞かれて,「ぜん,ぶ」という声が少しかすれた。

 「おやじがファンだったせいもあるし,ツキサムホマレの思い出もあるし,おれも,今の横山の父親の,横山富雄が好きだったんだ。もうなあ,いつ,最後の馬券になるか知れねえし,横山富雄の馬券を買うつもりで,息子の横山の馬を買うよ。こういうの,古いけどな。おれ,古いんだし」

 「新しいんだよ。そういうのが新しいの。ネットだの,ブログだの,ジョーホー,ジョーホーって,顔色の悪いウグイスみたいに鳴いてばかりいる奴は,そういう古そうで新しい芸はデキましぇん。それにしてもまさか,ここでペコちゃんとトンコちゃんが,ナマナマしく頭に出てくるとは思わなかったなあ。そしてトシザブイ,ツキサムホマレ」私はクボちんに,兵隊のような敬礼をしてみせた。

 「ニツトウチドリ」ただそれだけ言ってクボちんが笑いかけたとき,となりのベッドの老人が車椅子を家族に押されて帰ってきたので,私とクボちんの自由な会話は許されなくなった。
 「そろそろ引きあげるよ」私は立ちあがり,クボちんの枕もとに顔を寄せるようにして,クボちんにしか聞こえないように,「トシザブイ」と言った。

 「トシザブイ」とクボちんも小声の返事。
 「ツキサムホマレ」私が言った。
 「ツキサムホマレ」クボちんが返す。
 「ペコちゃん」私が笑った。
 「ペコちゃん」クボちんも笑った。
 「トンコちゃん」また私が笑った。
 「トンコちゃん」またクボちんが笑った。

 病院からの帰り道,横浜の古い建物が並ぶ鋪道を歩きながら,クボちんとのオウム返しごっこをしたことで,満ち足りた気持ちになっていた。
 家に着いて騎手名鑑をめくった。横山典弘騎手は,横山富雄がツキサムホマレで函館記念を連覇したころ,何歳だったのかを知りたくなったのだ。昭和43年2月23日が横山典弘の誕生日だった。すると5才のころに,父親の乗ったニツトウチドリが桜花賞を勝ち,有馬記念で2着になったりしていたのだ。

 弥生賞は横山典弘騎乗のロジユニヴァースが勝った。単勝は1.3倍である。しかし配当はともかく,私の手にしたクボちんの馬券が,まぶしく光っているように見えた。
 あまり日が過ぎないうちに馬券を届けてあげよう,と思っていた翌日の午前零時すぎ,「父が,今夜」とクボちんの息子,高校教師の哲也さんから電話がきた。最後の馬券になるかもと言っていたけど,まさか本当に,そうなるとは思わなかったと,机にロジユニヴァースの馬券を置いて眺めた。

 馬券からクボちんの,細く小さくなってしまった声で,トシザブイ,ツキサムホマレ,ニツトウチドリ,と聞こえ,そうしてペコちゃんとトンコちゃんのふたりをいっぺんに相手にした,熱海の夜の腕相撲をしているクボちんが目に浮かんできた。
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