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第186便 必死の思い

2010.06.14
 2010年3月28日,日曜日のこと,東海道新幹線掛川駅の近く,掛川グランドホテルで,和田秀雄氏の「旭日雙光章受章祝賀会」があって,200人が集まった。

 『日本国天皇は和田秀雄に旭日雙光章を授与する皇居において?をおさせる』と受付に飾られた賞状(2009年11月3日に受章)の?の字が読めず,それがちょっと気になったまま私は,「桐」と立札のある席に坐った。
 桐の席で私のとなりにKさん,そのとなりにKさんの奥さんのU子さん。大正14年生まれで85歳の和田秀雄さんは,U子さんの父親だ。私とKさん夫妻は,競馬が縁の,30年にもわたる友だちである。なにせKさん夫妻ときたら,平日は仕事に追いまくられているのに,土曜と日曜は,東京と中山で競馬をやっているかぎり,欠かさず競馬場にいるのだ。本命党のKさん,穴党のU子さんだが,馬券のアタリハズレが,ストレス解消になっているらしい。

 Kさんが営む会社(精密機械の部品を作っているようだが,私にはよくわからない。工場も何度か見学しているのだが,私にはちんぷんかんぷん)は東京の世田谷にあり,工場は静岡と鹿児島にある。毎年の忘年会を富士山が見える「鐘山苑」というホテルに一泊で催していて,この10年,和田秀雄さんはKさんの会社の役員だから当然だが,私までがお招きにあずかっているのだ。

 開会する前,祝賀会の栞のようなものをひらいて,次の一文を読んだ。

 『本日は大変大勢の皆様方のお出掛けを頂き,父の叙勲受章を祝う会を盛会に開催いただきましたことに家族一同心からお礼申し上げます。平成十九年に母が他界いたしました。病床で父に「お爺さんも一生家のためにはならなんだね」と言われた言葉が常に思いだされます。父がどの様な仕事をしたのか存じませんが,我が家から見た父の仕事は,昭和四十年代は事業に対する反対派の座り込み,夜一時を過ぎても帰らない人達,或いは大声で怒鳴る人達,五十年六十年代は事業の遅れ,少ない予算の苦情,平成になってからは併せて水配分の苦情,十年以降はやっと平穏になりまして,大声で怒鳴った顔が,「水が早く使えるように」との穏やかな顔となった事が,大変な大きな仕事であったなと感じさせられる昨今でございます。

 同時に平成元年六月二十二日,牧之原台地に初めて水が上がった日,「これで俺の生涯の仕事が終わった」と喜んだ父の顔が思い浮かびます。ともあれ,ご案内を差し上げたお名前を拝見し,父がこのような大勢の皆様方に支えられ,今日の栄を得させて頂きましたことに心から感謝申し上げ,その意を得ませんがお礼のことばとさせていただきます』

 長男和田繁樹,長男の妻悦子,孫直樹,孫の妻真衣,孫秀樹,と名が列記してあった。
 
 一文にある母の愛子さんの通夜の光景や,去年の忘年会で,「皇居で章をいただくのを,愛子に見ていてほしかったなあと思った」と和田秀雄さんが言っていたのを私は思いだしながら,「いいねえ。お爺さんも一生家のためにはならなんだね,と書いてある文章が,いっそう祝賀会を輝かせるなあ」

 そう私が言うと,「わたしも父が,何をしていたのか,よくは知らなかったの。それがテレビに出て,みのもんたに父がいろいろ説明して,そういうことだったのかぁって知ったの」U子さんが笑った。年に1度か2度,こたつに入って,和田秀雄さんとゆっくりすることのある私も,どうして天皇から勲章を授与されたのかを知らない。「こうなったら,今年の春の天皇賞は,ぜったいに馬券を,ばっちりと当てなきゃね」とKさんが笑った。

 開会して,衆議院議員や参議院議員,何人もの市長や県会議員たちの祝辞を聞くうち,だんだんと和田秀雄さんの功績がわかってきた。『こうして,明治2年に徳川の旧幕臣が茶園の開墾を手掛けて以来の120年目を迎えた平成元年6月22日,榛原郡金谷町の牧之原揚水機場で通水式が挙行され,念願の大井川の水が初めて,牧之原台地に上がった』

 牧之原台地に生を受けた和田秀雄さんは,戦地から復員し,茶農業に従事しながら,菊川町議会議員として,土地改良区理事として,農協理事として,「農地とは土と人と水との調和よろしきを得て初めて農地といえる。この内どれか一つ欠けても農地とはなり得ない」の教えを胸に,牧之原台地に大井川から水を引くことに,必死の情熱を注いだのだった。

 『国営事業は,その後も国営支線用水路や国営ファームポンド等の整備へと進んで行き,平成7年5月31日には榛原郡御前崎町の新谷のファームポンド前にて,土地改良区主催により,牧之原農業用水最南端到達記念式が挙行された』茶業指導機関からの「お茶には水はいらない運動」など,多岐にわたる問題と向きあいながら,牧之原台地六千町歩で暮らす1万人の署名を,和田秀雄さんは糧にしていた。「うれしいお知らせがございます。和田秀雄様に,春の園遊会へのご招待が届いております」
 
 司会者が言い,みんなで拍手をおくりながら,この会にいることがうれしくなった私は,それもこれも,Kさんとの友情を生んでくれた競馬のおかげだと思った。

 競馬,ありがとう。ひそかにワイングラスで無言の乾杯をした私の脳裏に,競馬場のパドックやスタンドやレースの光景が映るのだった。ツイッター時代とか,クラウドが変える世界とか,なんだか私には,競馬場に人が集まらなくなってしまう時代がくるのではないかという気もするのである。

 やはり,競馬界で重要なのは,競馬場に人が集まることだ。例えばJRAで働く若い人に,ネット時代ですからとあしらわずに,大井川の水を牧之原台地に引こうという必死の思いで,人を競馬場に集めるのに何が必要かを追求してほしいと,和田秀雄さんの祝いの会で願うのだった。
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