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第199便 帰りの電車に

2011.07.08
 私が暮らす住宅地で,順番にまわってくる班長という役を引き受けねばならず,町内会の集まりに行った。いろいろな役目の人が20人ほどいて,防犯やらレクリエーションのことやら話し合っているなかで,明日はダービーだなあ,今日の雨はもっとひどくなる予報だが,なんとか奇跡が起きて,晴れてくれないかなあ,と私は思っている。
 そう思ったのがきっかけで,私は出席者のひとりひとりに目をやり,もしも自分が,「明日はダービーでしてね」と口にしたら,どんな反応があるだろうかと考えた。

 たぶん,というより確実に,ダービーを気にしているのは自分ひとりだろう。そう思うと私は,世の中にはダービーを知っている人と知らない人がいて,知らない人のほうが圧倒的に多く,それが普通なのだと意識した。

 「どうも町会のピクニックがマンネリ化してましてね,なにか新しいご意見はありませんか」とレクリエーション係が案を求めた。何人かが発言するのを聞きながら,
 「競馬場はいかがでしょう」そう言ってみたらどうなるかと,私は思いめぐらしたりしていた。

 「ヨシカワさん,いかがです」指名されてしまった。
 「マンネリ化と言いますけど,わが町会は年に一度,湯河原へみかん狩りに行く,というのを伝統にしていくのがいいですよ」と私はほとんどゴマカシを口にし,いいかげんな人間だなあと自嘲した。
 いいかげんにしないで,「競馬場はいかがでしょう」と言ったらどうなるか,家へ帰ってからも思った。そのように言う私は,いいかげんでなく,かなり真剣なのかもしれない。けれども町内会の人は,伝統にしていくのがいいですよ,と発言したヨシカワさんよりも,ものすごくいいかげんなヨシカワさん,ということになるのだろうと考えながら,コップの酒をちびっとのんだ。

 ダービーの日,横なぐりの雨になってしまった。がっかりである。私はおテントさまを恨んだ。府中へ向かう電車のなかで,どんなに自分が,青空の下でのダービーを,ダービーの日の競馬場の空気を楽しみにしているか,あらためて思うのだった。
 人生で競馬を見つけたのである。競馬場を見つけたのである。それがうれしくて,50年以上も,競馬場へ行く電車に乗っているのだ。それで,ダービーの日になると,特別にうれしくなるのだ。
 ダービーの日に競馬場へ集まってくるひとりひとりのうれしさが風になって,その風に吹かれるのが,言ってみれば私の人生の最高の楽しみなのに,おテントさまのやつ,横なぐりの雨にしやがった。

 競馬場に着き,雨傘の群れを眺めた。誰かのオコナイが悪いのだ。誰かって誰だ。おれかもしれない,と私はダービーの日の雨を見つめた。そうか。私は思いなおした。横なぐりの雨のダービーだなんて,貴重な思い出をつくってやろうという,おテントさまからの贈りものかもしれないぞ。もういちど雨傘の群れを眺めて私は,「おれの思いって,やっぱり,いいかげんだ。でも,いいかげんだったから,なんとかメシを食えてきた」と居直っているのだった。

 父ステイゴールド,母オリエンタルアート,母の父メジロマックイーンのオルフェーヴルが,池添謙一騎乗で第78回日本ダービーを勝った。重馬場を苦にせず,何度か内に押し込められそうになりながらも,ひるまずに突き抜けた強さを見せつけて2冠達成である。

 帰り,私は府中競馬正門前駅で新宿行の急行に乗った。満員で,ようやく吊革をつかんだ私から数人先に,若い女性から席をゆずられた和服姿の小柄な老婆がいた。髪はゴマ塩,和服用の雨コートは上品で,しっかりした顔つきである。
 「おばあちゃん,競馬場へ来てたのよね?」若い女性が聞いた。私も聞きたいことだったので,その質問はうれしかった。
 「そうだよ」
 「おひとりで?」
 「そうだよ。いつもひとりで来て,4階にいるの。朝5時に起きて,7時半には競馬場に来る」
 「ずうっと来てるの?」
 「府中でやってればね。昔は中山も行った。もう50年も競馬を見てる。競馬があるから楽しいよ」
 「おいくつですか?」
 「言いたくないけどね,大正5年生まれ。96歳にもなっちゃったよ」
 「え?」若い女性が絶句した。その会話を聞いているのが私ばかりではない周囲の空気だ。

 「競馬をやるにはお金がいるから,月曜日から金曜日まではツクロイモノでカセぐよ。土曜と日曜は競馬をやるから,仕事はやらない」若い女性が黙ったので,老婆は自分から話しかけた。
 「すごい。すごい」と若い女性がひとりごとを言った。
 「雨が降ろうが雪が降ろうが,競馬場に来て,4階にいるの」
 「どのレースも馬券を買うの?」再び若い女性は質問をした。
 「全部は買わない。今日のダービーはさ,強いのが1頭いたから,やさしかった。儲かったよ」
 「うらやましい」
 「今までで,いちばん儲けたのは,140万。昔だけどね」
 「おばあちゃんのお家,どこ?」
 「仙川の駅に近いの。つつじヶ丘で乗りかえ」と老婆は何を探したのか,布袋の中を見た。

 聞きたいことがいっぱいあるなあ。こんど,東京競馬場の4階で,大正5年生まれ,96歳の人を見つけてやろう,と私は思った。
つつじヶ丘駅で,「ありがとう」と老婆は,若い女性に頭をきちんと下げて降りた。

 オルフェーヴルのダービーを,仙川に住む96歳の女性が競馬場で見て,帰りの満員電車にいたよ,と私は窓にぶつかってくる雨に伝えた。
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