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第214便 母と子の夏

2012.10.12
 「息子は野球だけがちょっと上手なバカオ。その母親のわたしは元気なだけがとりえのアホコ。
 アホコとバカオで生きてるんだから、大変」
 と明るい50歳の看護婦さんがいる。私の孫とバカオが一緒の中学で仲よしだった。
 ときどきアホコが私の家にビールをのみにくる。それで私が競馬を教え、年に2度か3度は競馬場へ同行したり、私とアホコも仲よしだ。
 そうか、アホコとバカオという名で話をすすめるのはマズイかな?
 でも、話の都合上、そのほうがいいような気もするし、お許しいただこう。

 バカオが4歳のときにアホコは離婚して、女手ひとつで育ててきた。食べるにいっぱい。最近でこそ、小銭で馬券を買ったりもする。
 学校の勉強はまるでアウトのバカオに、東北の或る高校から声がかかった。リトルリーグや、その上のボーイズでのバカオの活躍が認められ、学費免除の誘いである。
 高1でベンチ入り。2年生でレギュラーをとったが、夏の予選はベスト8どまり。甲子園は夢におわった。

 「話を聞いてほしいの。悲しいメールが来たのよ、バカオから。どうしたらいいのかなあ。哀れなバカオに愛の手を」
 そんなことをアホコが言ってきたのは9月になってもクソ暑い日だ。
 「そろそろ県大会が始まりますね。力いっぱい練習してください。
 そんなメールをわたしが打ったの。そしたら、その返事が、泣いていいんだか、怒っていいんだか、笑っていいんだか、呆れたというか、悲しかったというか」
 とJR大船駅に近い居酒屋で、アホコは少し疲れた顔でビールをのんだ。

 「オンナ?バカオにオンナ?」
 私が言うと、
 「どうして?当たった」
 アホコの目がまるくなった。
 「おれ、馬券以外は当たるんだよな」
 「あっ、馬券、わたし、当たったの。すごいの。
 病院にきてる薬の問屋の人が好きで、買わないかって言うんで、500円玉を渡したら、当たっちゃったの」
 「すごい馬券?」
 「すごい」
 とアホコはハンドバッグのなかから馬券をつまみだした。
 9月2日の新潟記念。1着トランスワープ、2着タッチミーノットの枠連①―④を500円の馬券だ。
 「どうして買えたの?」
 「9月2日、母親の誕生日だったの。とっくの昔に死んじゃったんだけど、朝、おめでとうって、声かけてあげるの。
 それで電車に乗ったら、馬券売り場へ行く問屋の人と会って、時間あったから、桜木町の駅の前でコーヒーをつきあったわけ。
 わたし、母親の名前が好きなんだ。市場の市に代金の代。市代。いちよ。そう言ったら問屋の人、枠連の①―④を買いなさいよ、バースデー記念にというんで500円渡した」
 「いくらついた?」
 「5310円」
 「すごい!」
 と私は自分のグラスをアホコのグラスにぶつけた。

 ひと息ついて、ぷふっと私が笑った。
 「市代さんの話じゃない。バカオの話だ」
 「あら、そうよね」
 とアホコもぷふっと笑った。
 「バカオの奴、好きな女ができちゃって、舞いあがってたらしい。ところがフラれて、おわったみたい。
 メールで、おれはいったい、バッターボックスに入って、どんなことを思っていたらいいのかって聞いてきたの」
 そこまで言ってアホコは、目をつぶり、かるく頭を振り、
 「どう言ってやればいいのかなあ。おねがい。バカで可哀そうなバカオに愛の手を」
 笑わずに私に頭を下げた。
 「メール打ちなよ。ストライクを打て、ボールは打つなって。オンナもバッティングも同じだって」
 「いいね、それ」
 とアホコはケイタイをとりだし、バカオにメールをおくった。
 「わたし、とんでもないクソボールを打っちゃったのね」
 とアホコのひとりごと。
 「でも、そのおかげで、バカオという、のんきな息子と出会えたじゃないか」
 と私のハゲマシの言葉。

 私はビールから焼酎へ。アホコはビールから日本酒へ。
 「どんなことを思ってバッターボックスに入ったらいいのか。バッターボックスに入って、どんなことを思ったらいいのか。
 いやあ、それが人生の問題だ。それを相談してきたバカオは上出来。クリーンヒットを打ったようなもんだよ。
 その相談メールを、おっかさんとして、ホメてあげなよ。おまえさん、ただのバカオでもなかったじゃないかって」
 「わたしがバカオをホメるわけ?ヤだなあ」
 とアホコは笑ったが、元気で明るくて、ひとにやさしいアホコなら、うまくバカオをリードするだろうと私は思った。

 その晩、私はバカオに手紙を書いた。
 『母さんから相談されたぞ。オンナのコにフラレテ、がっくり、しょんぼりだってな。
 なんでフラレタのか。かんたんだ。キミに、オトコとしてのウツクシサがなかったからだ。
 オトコとしてのウツクシサって何?知るか、そんなこと。自分で見つけろ』
 おれとして、バカオにすすめたいのは、誰かひとりでもいいから、パラリンピックの選手のたたかいを、テレビで、しっかり見ること。ひとりで見ること。くりかえして見ること。
 おれ、アホコとバカオの物語、好きなのだ。
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