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第241便 言葉たち

2015.01.05
 ジャパンCの日の朝、6時すぎに目をさまし、ベッドから手をのばしてカーテンをあけ、うす明かりの外を見る。
 よかった。ジャパンCの日に、東京競馬場のケヤキの並木道のベンチに腰かけ、ケヤキの茶色、イチョウの黄色、モミジの赤色を眺め、ぱらぱらぱらぱら舞い落ちてくる落葉を友だちのようにして、ハズレ馬券で灰色の心も見ながら過ごすのが、自分の人生の大きな楽しみだから、雨が降りそうもないのは、よかった。

 私の家の裏は80坪ほどの空地で、私は二階の部屋のベッドでそこを見ているわけである。その空地に一本の大木があり、黄色に染まった葉がひろがって、向こうの道路に面した白い大きな家をほとんど見えなくしている。
 その大木ははじめ、30センチほどの苗木だった。空地のとなりにマツムラ家があり、そこの主人が仕事で行ったカナダから持ち帰った苗木で、
 「たぶん、ドングリの木です」
 と植えながら私に言ったのは、もう30年以上も昔のことだ。
 マツムラさんは20代の半ばごろ、大学時代の友だち4人で会社を作り、ガソリンスタンドに必要な計器を開発し、でっかくなった会社の専務をつとめたり、天皇陛下から賞状をもらったりしたが、84歳で亡くなった。
 亡くなる少し前の、病床でのマツムラさんのひとことが私は忘れられない。
 「心のこりがあるね。あなたに誘われた競馬場へ、行かないで終わる。いちど、行ってみたかった」
 とマツムラさんは一生懸命に私に言ったのだった。
 木の話にもどる。その木がオトナの背丈ほどになったころ、
 「調べたり、植木屋に聞いたりしたけれど、どうやら、ドングリの木ではないようです。困った。木の名前がわからない」
 とマツムラさんが言い、
 「困ることはありませんよ。これ、タツノの木で、どうです?」
 と私が言った。タツノとは、マツムラさんが友だち4人で設立し、大きくした会社の名だ。
 だんだんと明るくなってきた空に、トンビがくるりくるりと飛んでいて、「2014年11月30日の朝、空でトンビが、第34回ジャパンCを祝福」と私は思い、タツノの木を見ているのだ。
 「マツムラさん。あなたが旅立って、5年が流れましたか。タツノの木、いよいよ元気です。今日はこれから府中へ行って、ジャパンCというレースを息をつめてみてきます」
 そう言って私はベッドを離れた。

 府中本町駅へ向かう南武線の登戸駅でたくさんの人が下車し、乗ってきた老人と中年男が私と並んで座った。
 「3年ぶりなんです、ジャパンカップ。だからね、ジェンティルドンナの2連勝というのを見ていないんだよね。
 おととしは腰でね、去年は大腸。それで病院にいた。しかし、丈夫でなくちゃ、どうにもなりません。
 ジャパンカップは第1回からずうっと、欠かさずに見にきてた。今年は34回だっていうから、わたしも第1回を見てたのは、まだ37か8だ。
 わたしにもそんなトシのころがあったのかなんて、ひょっとして、わたしが若かったなんて、それはウソなんじゃないかなんて、ほんと、バカなこと、考えたりする。
 いやあ、うれしいね。まさか、もういっぺん、ジャパンカップを見に行けるなんて思えなかったんだもの」
 私のとなりで老人が中年男に言っている。
 聞いているのかいないのか、スポーツ紙に目をやっている中年男が何も言わないので、老人のとなりにいる私は迷いはじめた。この場合、老人は、何か他人の反応がほしいのではないか。でも、おれがそう感じるのは大きなお世話かもしれないしなあ。
 「ごめんなさい。聞いちゃった。すばらしい日ですね」
 私は老人の前に手を出していた。少しためらいがあったようだが、老人が私の手を握った。
 東京競馬場は10万人を超える客のようである。10Rプロミネントジョッキーズトロフィーに出走の16頭が歩いているパドックを見ながら、ふと南武線で握手をした老人は、今、どこで、どんな顔をしているのかなと思ったりしていると、
 「お元気そうで」
 となりに立った初老の紳士に声をかけられた。彼は何頭もの馬主である。
 「もう何年ぐらい競馬を見てますか」
 私にしか聞こえない小声で馬主が言った。
 「いちど聞いてみたかったんだけど、ヨシカワさんは、競馬の何がおもしろいですか」
 「何かなあ?」
 私は首をひねり、会話をしなかった。
 地下馬道の隅で、ひとりになって、「また、きたな」と思った。私はこれまでにも、何度か、何人かの馬主に、同じように聞かれている。
 「ヨシカワさんは、何がおもしろくて生きているのかなあ」
 と酒の席で馬主に質問されたこともある。
 馬を持つほどのカネもないだろうし、馬券だってそんなには買えないだろうし、その辺をいつもうろうろしているけど、なんだかかわいそうな男だなあと同情されているような気もするし、バカにされているのかなあと思ったりもした。
 東京10Rの馬券を買いに行きながら、「しかし」、と思った。
 「しかし、競馬の何がおもしろいですかとか、何がおもしろくて生きているのかなあとか、そういう言葉も、競馬を見続けている年月があるから聞けたんだ」
 と私は自分に言った。すると南武線で握手した老人の言葉も、競馬のおもしろさのひとつだし、マツムラさんが一生懸命に、心のこりは競馬場へ行かなかったことと吐いた言葉も、私には競馬のおもしろさだし、人生のおもしろさだし、
 「たまには当たってくれ」
 と券売機に金とマークシートを差し込み、その願いも、言葉のひとつだと私は思った。
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