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烏森発牧場行き

吉川良 烏森発牧場行き

第244便 なんか、生きていけそう

 3月8日、中山競馬場の空はネズミ色で、ときどき雨が落ちてきた。パドックを歩く馬を見ながら、もうここに、後藤浩輝騎手は現れないのだなと思う。彼の自死からまだ9日しか過ぎていないのだと考えた私に、去年11月22日の東京競馬場での、頸椎骨折から約7ヵ月ぶりに復帰した騎手への、
 「ゴトー!」

 1階スタンドから湧いた祝福の叫び声がよみがえり、
 「ゴトー!」
 空へ私も、声にはせずに呼んだ。

 その日私は、2年前に美術大学を卒業し、道路工事現場でバイトをしながら、画家をめざしている青年と一緒に競馬場へ来た。そのサトーくんは生まれて2度目の競馬場だという。
 来る電車のなかで私が、
 「今日はいくら、馬券に使う?」
 小声で聞くと、
 「5,000円です。」
 そうサトーくんが返事をし、
 「精一杯です」
 とつけくわえて少し笑った。
 中山8Rから12Rまで、パドックと1階スタンドのゴール板近くを行ったりきたりした。中山10R上総Sの3連複2,450円を500円、サトーくんは的中させ、その配当を中山11R弥生賞の馬単1番人気に1点勝負で突込んだがアウト。
 「ヤバイ。あと1,000円しかない」
 とつぶやいた。
 第10Rも第11Rも福永祐一が勝っている。
 「今日の中山競馬場でいちばん気分が明るい人に、ぼくの暗い気分を救ってもらいたいです」
 そう言ってサトーくんは中山12R、13頭立て5番人気、福永祐一騎乗サトノネプチューンの単勝に1,000円を賭けた。
 芝のマイル戦。ネズミ色が濃くなった空の下、4コーナーをまわった馬群が現れ、サトノネプチューンと石川裕紀人騎乗マリーズケイが、1分35秒5の同タイムでゴール板を過ぎた。
 なかなか結果の出ない写真判定になり、サトーくんは地面を見つめたり、溜息を吐いたりしていて、私は石川とマリーズケイには済まないが、なんとかサトーくんを明るくしてくれと願った。
 電光掲示板の1着に、サトーくんが祈って待った12という数字が光った。単勝790円。
 船橋法典駅へと歩いた。風が寒い。家々の窓と道路のアスファルトが冷えきっていた。
 「笑われそうだけど、1着が12と出たとき、なんか、生きていけそうと思った」
 歩きながらサトーくんが小声で言った。私は何も反応しなかった。

 3月10日、晴れたが風が強かった。私は鎌倉から新橋へ、乗りかえて浅草へ、そして東武伊勢崎線の小菅へ行った。
 1945(昭和20)年3月9日、8歳の私は戦時中の縁故疎開をしていた埼玉県北埼玉郡不動岡村から、どんな事情があったのか、東京の小菅刑務所に近い伯母の家に移された。10日の未明が米軍のB29爆撃機300機による東京大空襲である。
 道路をへだてて小菅刑務所の塀がある防空壕で、遠いような近いような空が火の海の色になっているのを見ていた自分が、不思議なほどはっきりと私の記憶になった。
 朝になって防空壕を出て、伯母の家へ帰るつもりが道を間違い、うろうろとどんどんと、あてもなくなって半日ぐらい、野良犬になって歩きまわった私は、川に浮かんだ死体や、道ばたに並んだ死体をたくさん見た。
 70歳を過ぎたあたりから私は、3月10日には小菅駅で電車を下りて伯母の家があった町並みを歩き、近くの荒川の土手を歩いたり、向島まで足をのばしたりしている。2015年3月10日も、私は私の行事をしにきたのだ。
 あの防空壕はこのへんにあったのかなあと、いつも立ち止まる町かどで、拘留所の建物を眺めていると、競馬場の掲示板に出た12という数字が光り、サトーくんのひとりごとのような、
 「なんか、生きていけそう」
 という言葉がよみがえった。
 おれも、なんか、生きていけそう、と思うことがあって、こんなじいさんになるまで生きてこられたなあと私は思い、伯母の家があった小菅1丁目を歩いた。

 3月11日、朝、新聞を読む。昨日は東京大空襲から70年で、今日は東日本大震災から4年だ。
 宮城県東松島市で農業法人イグナルファームを営む37歳の阿部聡さんの言葉を読む。阿部さんは4年前、妻と3人の子と祖母を津波に奪われ、納骨を済ませたら死にたいと考えた。
 どうにか生きのび、トマトを生産し、再婚し、娘が生まれる。週に3日は墓参りに行きながら、必死に暮らしている。
 「希望は自分で探さないと見つかりません。私は娘が生まれて強くなれました。人は一人では生きていけません。誰かのために、何かのために生きている。しかも生きていると、9割は嫌なことじゃないかと思うんです。でも、少しだけ、残り1割はいいことがあるはず。だから、その1割のために、人は生きていると思っています」
 と阿部さんは言っている。
 午後2時46分、黙祷をした。そのあと、阿部さんの言葉を思いかえしているうち、サトーくんの絵が目の奥に浮かんだ。
 去年の秋のこと、散歩の途中で寄った絵の市民展で、タテ20cmヨコ15cmほどの、「おれ」という題がついた、空を見上げているような労働着姿の青年の絵に惹かれ、買いたくなり、それを受付の人に言って、やがて後日に、サトーくんと会ったのだった。
 サトーくんは福島県いわき市の出身で、家族が大震災に襲われたようだが、何もそれを口にしなかった。私がびっくりしたのは父親が競馬好きだった影響からか、サトーくんが競馬にけっこうくわしいことだった。それで私と弥生賞へ行くことになったのである。
 また競馬場の掲示板の、12という数字が光った。私は自問自答する。そうか、自分が「おれ」というサトーくんの小さな絵を買いたくなったのは、なんか、生きていけそうと感じたからにちがいない。