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烏森発牧場行き

吉川良 烏森発牧場行き

第247便 記念日

 入会しませんか。もし入会したら仲間ができて、毎日が楽しくなり、老後の人生に元気が出てきますと、或る老人会から誘いの手紙がきた。

 入会する気はないけれど、入会する場合の書類が同封されていたので読むと、「趣味」を書くスペースが大きく、「とても大切なことなので、なるべくくわしくご記入ください」と注意書きが添えてあった。
 晩めしのときかみさんに、その誘いのことを話題にし、
 「趣味をくわしくと言われても困るよね」
 そう私が言うと、
 「すぐに女房を怒鳴りつけること。それが趣味、と書いたらいいわ」
 とかみさんが笑い、
 「そうか。そう書いたら、老人会に共鳴者がたくさんいるかもな」
 と私も笑った。
 冗談はともかく、少しマジメに「趣味」ということについて考えてみようと、晩めしのあと、イモ焼酎をお湯わりにしたグラスと向きあった。
 「趣味、競馬」とだけ書いたら、競馬を知らない人はどう受けとるのだろう。
 競馬場やウインズで、それまで知らなかった人と、なんだかんだと会話をしているのが趣味、とおれの場合は言えるんじゃないのかなあと思った私に、ミッキークイーンが勝ったオークスの日の最終レースの、東京12R丹沢Sのパドックで会った杉崎さんの顔が浮かんだ。

 ミッキークイーンとルージュバックの馬単⑩―⑭、30.3倍を当てていた杉崎さんは、
 「ミッキーにお礼をしなきゃね」
 と丹沢Sのミッキースマホと1番人気キャニオンバレーの馬単ウラオモテを買い、キャニオンが勝ちスマホが2着の22.9倍も当て、シャットアウトをくらってオケラの私は、東府中の居酒屋で杉崎さんに、すっかりゴチソウになった。
そのとき、
 「ヨシカワさんに会ったの、まだ50歳になったばっかりだったのに、60歳になってしまったものなあ」
 と杉崎さんがしみじみと言うのだった。
 「中山のパドックだよね、初めて会ったの」
 「金杯のパドックですよ。わたしはよくおぼえてます。馬頭観音の幟が立ってる前のあたり。
 アサカ、どうですかね?って、わたしがとなりにいた人に聞いちゃったんだ。その、となりにいた人というのがヨシカワさんだった。
 わたしの娘が去年の秋に結婚して、埼玉の朝霞にいるんですよ。それでアサカの単勝を買おうかなって。
 そう言ったらヨシカワさんが、自分の娘も朝霞にいたことがあるって笑ったんですよ。
 結局、わたしもヨシカワさんも、中館が乗るアサカディフィートの単勝を買って、いっしょにレースを見ました。
 アサカディフィートが勝った。単勝910円。忘れてないです。
 それで帰りに、わたしは横浜の戸塚の自動車修理工場で働いていますと言うと、同じ横須賀線仲間だと、船橋で乾杯したんですよ」
 と杉崎さんがしっかりと昔を語ってくれた。

 東府中での杉崎さんとの酒を思いだしながら、自分の趣味は競馬友だちとの酒、と書くしかないと考え、もし老人会に入ってそれを言っても、誰にも通じないだろうと思った。
 ドゥラメンテが勝ったダービーの日の夜に杉崎さんが、
 「去年の春に大井競馬場で、福井から来てた弟に会ってもらったでしょう。あいつが会社の出張で東京に来ていて、どうしてもダービーをナマで見たいと言うので一緒に行ったんです。
 そしたらドゥラメンテとサトノラーゼンの馬単を3000円当てたもんだから喜んじゃって。
 大井でヨシカワさんと飲んだのが楽しかったらしくて、明日までこっちにいられるので、また会えないかなあって言うんですよ」
 と電話してきた。
 それで次の日の夜、杉崎さんが行きつけの戸塚の居酒屋「だるまさん」へ私は出かけた
 「12万人もの人が集まってるダービーの競馬場で、自分もそのうちのひとりだと思っているうちに、いつもの福井の、鯖江での自分の生活の、なんともいえない静かな空気が映画みたいに頭に映って不思議な気がしたんですよ。
 記念日になったわ。人生の記念日。わけわからずに幸せで」
 そう杉崎さんの弟の雄二さんが言うので、
 「いやあ、ひとによっては大げさだと笑うんだけど、こうしてダービーを初めて見て、それが人生の記念日になったという人と酒をのむのは、おれにとっての人生の記念日ってわけなんだ」
 と私はうれしくなり、
 「わたしもね、あらためて人生だなんて考えるほうじゃないけど、弟とダービーを見に行ったのは、人生の思い出になるなあって。おまけに、こっちは馬券がハズれたのに、競馬をまるで知らない弟が馬単を取るなんて、変な思い出だ」
 と杉崎さんもうれしそうだった。

 その週のモーリスが勝った安田記念の次の日、ホテルニューオータニにあるフランス料理店「トゥールダルジャン」へ私は出かけた。ドゥラメンテのダービー優勝祝賀会で、ドゥラメンテのクラブ馬主(40分の1口に出資)が集まり、生産者のノーザンファームの人たち、堀宣行調教師、ミルコ・デムーロ騎手との祝宴である。
 私は社台グループのクラブ会報誌に、その空気を文章で伝える役で、取材者としての出席だ。
 私と同じテーブルに、渡辺啓治さんとチヨ子さんがいた。86歳と85歳の夫婦である。昔、啓治さんは、ヤマハ楽器のギターの弦を作る工場を営んでいた。
 「30年ちかくクラブ馬主をやってきて、ダンスインザムードでやっとこさ、GI馬と出会えたけど、まさか、ダービー馬を持てるなんて、ほんと、まさかだよ。
 今日はわたしの記念日だなあ」
 と啓治さんが言い、私は居酒屋「だるまさん」で雄二さんも記念日と口にしたのを思いだし、おれの趣味は、競馬好きの人の記念日に立ち会ってることなのかなあと思ったりした。