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第291便 とんぼのように

2019.03.12
 1月20日のこと、ウインズ横浜に着くとテレビに、中山3R3歳未勝利に出走する15頭のパドックが映っていた。
 「おっ、モリト」
 そう思って私は8枠15番のモリトローテローゼを見つめる。
 冠名「モリト」の石橋忠之さんとは、ときどき手紙のやりとりがある。去年は救急車のお世話になったりして石橋さん、ずいぶん病院通いをしたようなので、モリトローテローゼが歩いていると、石橋さんが歩いているような気がしたのだ。
 画面のパドックを見上げながら、松下征弘さんの顔が浮かんでくる。冠名「ステージ」の松下さんは7年前に亡くなったが、石橋さんとは兄弟のようだった。言ってみれば私は、義兄弟のようなものだったかな。
 松下さんのほかに、もうひとつ、私が石橋さんに縁を感じるものがあった。千葉県の佐原に私のかみさんの親戚がいて私ともつきあいがあり、石橋さんは佐原の近くの森戸の出身で、それで冠名が「モリト」なのだ。
 モリトローテローゼの単勝を200円買った。11番人気でオッズは82倍である。記念馬券だ。
 ゲートがあいた。モリトローテローゼを探す。おい、けっこう流れにのって走ってるぞ。
 おい、おい、モリトローテローゼ、がんばれ。おい、伴啓太、がんばれ。
 ダート1200の直線。おい、しぶとく粘ってるぞ、モリト。え?おい、2着だ、2着。
 うーん、モリトローテローゼもそうだけど、伴啓太にも勝たせたかったなあ。
 複勝、3,560円。うーん、複勝を買っておけばよかったけれど、それも、まさかだ。くやしいのだが、うれしさもあるよ、と私は誰かに言いたくなっている。
 このうれしさ。なんだかよくわからないうれしさだが、なかなか勝てない馬や、なかなか勝てない騎手が、もう少しで勝てたのにというくやしさは、うれしさなのだと私は思うのだ。

 1月25日の夜、京浜急行の弘明寺駅に近い英子さんの家へ行く。ウインズ横浜に近い日の出町駅から4つめが弘明寺駅だ。
看護師の英子さんが、2018年1月に73歳で旅立った父の昌治さんのために集まってほしいと、ウインズ横浜の仲間3人に声をかけたのだった。
 「キタサンブラックが勝った有馬のとき、シャケトラの単勝を買ってくれって、昌治さんからケイタイがかかったのよなあ。どうしてか彼、シャケトラが好きだった。あれが最後の馬券だったね。
 それで先週、AJCCのとき、それを思いだしてシャケトラの単勝を買ったら、びっくりしたなあ、1.7倍のフィエールマンをシャケトラが負かしちゃって」
 と倉庫会社で昌治さんと同僚だった宮野さんがその馬券を財布から出し、仏壇の昌治さんの写真に見せ、みんなが拍手をした。
 その晩、私は英子さんの家に泊めてもらった。朝9時、英子さんは勤務先の病院へ、私はウインズ横浜へと向かった。
まだ人がちらほらのウインズのテレビに、東京1R3歳未勝利の16頭が歩くパドックが映っていて、先週と同じく「モリト」がいた。
石橋さん、東京競馬場へ行ったかなあ、と思う。競馬場で石橋さん「モリト」がゲートに入ると両手をしっかり合わせて祈るんだよなあと思った。
 7枠13番モリトイナセは武士沢友治騎乗。16番人気だ。
 16頭立て16番人気、オッズは240倍。それでも石橋さん、きっと手を合わせると思いながら、単勝を200円買って私は発走を待った。
 ダート1300。ずうっと後方にいたモリトイナセだったが、なんだか直線では踏んばって5着だった。
 240倍の馬が5着なのだから、何か貰えてもいいよなと思いながら、その馬券も先週のモリトローテローゼの馬券と同じく、仕事部屋にある記念馬券函に残そうと決めた。
 コーヒーショップに行ったりして戻ったウインズのテレビに、東京7R4歳上500万下のパドックが映っていて、7枠14番のモリトユウブがいた。蛯名騎乗で16頭立て4番人気である。
 「ひどいな。3連単で1,120円。前のレースの3連単が30万円だったのに」
 ととなりにいた中年男が私に東京6Rの3連単の、500円買って的中の馬券を見せた。1番人気から順に、1着2着3着だったのだ。
 モリトユウブの単勝を1,000円買い、東京競馬場で「ユウブ!ユウブ!」と叫んでいた自分を思いだした。それは去年のジャパンCの日の第6Rで、武豊を乗せたモリトユウブがダート1600でハナに立ち、終始先頭を行きながら、直線で失速して5着で終わったのだった。あのときは、たしか3番人気で、勝ったのは人気薄だったよなあ。
 ゲートがあいた。少し後手を踏んだようなモリトユウブのスタートで、フウッと私は息を吐きだした。
 4コーナーを回るまでモリトユーブは後方にいる。いいよ、勝たなくてもいいから、勝とうとして踏んばったところを見せてくれって思ったあたりから、追い出されてからのモリトユウブは、光をまきちらすかのようだった。
 勝った。2着にクビ差、勝った。私はずいぶん長いこと、その場で棒立ちになっていた。
 フロアの隅っこへと移り、ペットボトルの水をのみ、おれの人生、幸せなんじゃないか、と思って周囲を眺めた。
 15頭立て11番人気で2着だったモリトローテローゼと、16頭立て16番人気で5着だったモリトイナセの奮闘が、ひとつのドラマを発生させて、それがモリトユウブの1着につながったのではないかと考えると、いっそうその1着のうれしさがこみあげてきた。
 トイレへ行った。しかし、と思った。しかし、おれのうれしさ、人生のうれしさというのは、自分にしか通用しないなあと思うと、なんだか疲れのようなものを感じた。
 モリトユウブのユウブって、勇気があって強いことというわけだろうけれど、おれ、勇気とか強いとかには縁もなく、ただ、とんぼのように生きてるなと感じ、ウインズでぼんやりしてしまった。
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