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2010 ドバイ スーパーサーズデイ&ワールドカップデイ 現地取材レポート

2010 ドバイ スーパーサーズデイ&ワールドカップデイ 現地取材レポート

ドバイワールドカップとは

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ドバイ首長国はアラブ首長国連邦 (UAE: United Arab Emirates) を構成する7首長国の一つ。 首長国ごとの国内総生産比率ではアブダビの約5割強に次いで約3割を占める。

ドバイと競馬を結びつけたのは現ドバイ首長シェイク・モハメド殿下 (1949生まれ)である。社会・経済基盤整備に注力して「ドバイ建国の父」と尊敬される父シェイク・ラシド殿下の三男であるモハメド殿下は、イギリスのケンブリッジ大学留学中にサラブレッド競馬と出会う。ケンブリッジCambridgeは競馬の聖地ニューマーケット Newmarketにほど近く、開催日には直行バスも出る。ホームステイ先での競馬談義に触発され、また実際に競馬を観戦してその美しさに感動し(初観戦は1967年英2000ギニー、勝馬ロイヤルパレスRoyal Palace (GB))、先行するサウジアラビア人オーナーの活躍に刺激も受け、モハメド殿下の情熱は一気に燃え上がった。留学先がオックスフォードOxfordであったなら競馬の歴史は大きく異なっていたかもしれない。それとも、オックスフォードからコッツウォルズを挟んで西に位置する障害競馬のメッカ チェルトナムCheltenhamに関心が向いただろうか。

モハメド殿下がオーナーとして初勝利を収めたのは1977年イギリス南部のブライトンBrighton競馬場(2歳牝馬Hatta (IRE))、以来、無尽蔵な財力をバックに米欧のセリ市場で高馬を求め、英愛の名門牧場を買収し、英仏の一流調教師に預託して世界の大レースを席捲し、3兄弟とともに(父を継いでドバイ首長となった長兄マクトゥーム殿下、次兄ハムダン殿下、弟アフマド殿下)いわゆるマクトゥーム・ブラザーズとして世界競馬に君臨する。(モハメド殿下のフルネーム(英語表記)はMohammed bin Rashid Al Maktoum マクトゥーム家のラシドの息子のモハメドである、なおMohammedはモハンメド、ムハンマドなどさまざまに表記されているが、ここでは競馬界での慣例に従ってモハメドと表記する、ちなみに外務省の表記はムハンマド)

モハメド殿下は「ダーレー Darley 」の名で欧米豪日を拠点に生産活動を展開し、「ゴドルフィン Godolphin 」を主宰して英米ドバイの厩舎から世界に一流馬を送っているが、その名はサラブレッドの三大始祖馬のうちの2頭、Darley Arabian、Godolphin Arabian に由来する。殿下にとってサラブレッドは自身と同じくアラブの血を引く同胞であり、民族の誇りでもある。もう一頭の始祖馬 Byerley Turk の名がその組織に付されることは決してないだろう、Turkはトルコ馬を意味するからである。( Byerley Turkがトルコを経由してイギリスに輸入されたアラブ馬とする説も根強い)


世界の競馬で名を成した殿下にとって、サラブレッドの故郷であるアラブの地ドバイで、世界の一流馬による最高峰の競馬を開催することが新たな野望となった。皇太子に指名され国の発展に腐心する立場としては、「石油枯渇後」のドバイの貿易・金融・観光・スポーツ立国に資するため競馬を通じて世界のより多くの国とのネットワークを構築することにも大きな意義を感じていただろう。

砂漠の国で競馬などという疑問の声が多かったが、「夢の実現を阻むのは怠慢のみ」を標榜する強い意思の人モハメド殿下の行く手を遮るものは何もない。アメリカのチャーチルダウンズ競馬場(ケンタッキーダービー施行)を模して設計されたナドアルシバ競馬場での競馬開催が1992年に始まり、1996年にドバイワールドカップが創設された。前年10戦10勝でBCクラシックG1を制して米年度代表馬に選出されたシガー Cigar (USA)の招致に成功して(優勝)センセーショナルなデビューを飾り、第2回はイギリスのマイケル・スタウト調教師が管理するシングスピール Singspiel (IRE) (前年のジャパンC勝馬、モハメド殿下の所有馬)が初ダートながら底力を発揮してヨーロッパ勢に勝利を齎し、ドバイは世界のホースマンに認知されるに至った。

モハメド殿下最愛の馬は第5回(2000年)の覇者ドバイミレニアム Dubai Millennium (GB)である。2000年のワールドカップを勝てる素質馬としてデビュー前にYaazerから改名されたこのゴドルフィン所属馬は、2歳10月のデビュー戦から3連勝で英ダービーに臨んだが(1番人気)、3歳春の始動が遅れてローテーションが厳しかったこともあり、オースOath (IRE) の9着と期待を裏切る。以降英仏マイルG1を含む4連勝を飾り、本番のワールドカップでも米の強豪 ベーレンズBehrens (USA) に6馬身差をつけてレースレコードで圧勝し、みごとにその使命を果たしたのである。次走ロイヤルアスコットのプリンスオヴウェイルズSG1も8馬身差で制した後、前年の凱旋門賞G1でエルコンドルパサー (USA)を破ったモンジュー Montjeu (IRE) とのマッチレースの企画が持ち上がったが、好事魔多し、ドバイミレニアムは調教中に骨折して引退を余儀なくされ、さらに種牡馬生活1年目の途中にグラスシックネスにより帰らぬ馬となった。僅かな産駒の中からドバウィ Dubawi (IRE) が愛2000ギニー、仏ジャックロマロワ賞などG13勝をあげて種牡馬となり彼の血を伝えている(2009 英・愛ファーストシーズンサイアー勝馬数1位)。

日本馬でワールドカップに最も近づいたのは第6回のトゥザヴィクトリーである。武豊騎手を背に小気味よいスピードを披露し、直線入口では楽勝かと思わせたが米代表キャプテンスティーヴ Captain Steve (USA) の息の長い末脚に屈し2着と涙をのんだ。彼女は翌年も挑んだが展開に利あらず、ストリートクライ Street Cry (USA) の11着と敗れている。
2年後には全弟のサイレントディールが姉の雪辱を期したが、出遅れてリズムを崩して勝負に加われないまま最下位に終わった。一方、日本に種牡馬として輸入されたキャプテンスティーヴの初年度の花嫁の中にトゥザヴィクトリーの全妹ビスクドールがいた、2頭の間に生まれたのが父の代表産駒の1頭アイスドールである。エニフS L など6勝をマークして重賞でも活躍を見せた。ドバイで生まれたロマンスといえるだろうか。アイスドールの半弟に2月末現在2戦2勝の3歳バトードールがいる。父クロフネ (USA)ジャパンカップダートをレコード勝ちしてドバイ制覇の夢を見たが屈腱炎で競走生命を絶たれており、バトードール(フランス語で黄金の船の意、ドバイを意識した命名か)には父とファミリーの大きな期待がかかる。

南半球生まれでワールドカップを制したのは今のところインヴァソール Invasor (ARG) のみである。アルゼンチンに生まれたインヴァソールは $20,000でウルグアイ人オーナーに購買され(飛行機の故障で予定していた牧場に行けず、ブエノスアイレス近郊の小規模な牧場でインヴァソールに出会い一目で惚れ込んだそうである)、2歳のデビューから5連勝無敗でウルグアイ3歳3冠を制し(マローニャス競馬場のダート1600m, 2000m, 2500m, 着差合計15.75馬身)、モハメド殿下の次兄ハムダン殿下のShadwellにトレードされた($1,500,000、 米のK. マクラフリン厩舎)。移籍後初戦ともなった1回目のドバイ遠征では、UAEダービーG2 (ダ1800m)に出走しディスクリートキャット Discreet Cat (USA) の4着、3着フラムドパシオンガブリン (AUS) が7着、2009年のワールドカップを米代表として圧勝することになるウェルアームドWell Armed (USA) はイギリスのC. ブリテン厩舎所属で11着だった。アメリカに戻ってBCクラシックを含むG16連勝を達成し、米年度代表馬のタイトルを手中にして再びドバイの地を踏んだインヴァソールは、サウジアラビアのアブドゥラー国王がアメリカからトレードしたプレミアムタップ Premium Tap (USA) を下して2年越しの夢をかなえた。前年のUAEダービーで彼を負かしたディスクリートキャットは精彩を欠きデビュー以来初の敗戦を喫した。ウルグアイ時代のオーナーが語ったところによると、インヴァソールが走るたびにウルグアイの多くの競馬ファンがライヴ中継会場に集まり、馬券を買って大声援を送ったそうで、海外競馬の馬券が買えない日本人にとってはまことに羨ましい話である。ウルグアイの国民的英雄となったインヴァソールは、帰国後初戦に向けての調教時に骨折し、残念ながらワールドカップがラストランとなった。2008年からケンタッキーのシャドウェルファームで種牡馬として供用されている。ちなみに、インヴァソールの父キャンディストライプスCandy Stripes (USA)は秋の天皇賞馬バブルガムフェローの半兄である。

今年から新設メイダン競馬場のオールウェザーコース(素材はタペタTapeta , ラテン語でカーペットの意、ワックスコーティングされた砂・人工繊維などを混ぜたもの、 開発者は英米で2つの伝説を作った元調教師 M. ディキンソン)で開催されるドバイワールドカップの総賞金は、昨年までの$6,000,000から$10,000,000へ大幅に増額される。他のサポートレース(アンダーカード)の賞金は昨年と変わりないが、芝1200mのG3が加わってサラブレッド系重賞は7レースに増える。1月13日の無料登録締め切り時点でワールドカップの登録頭数は史上最高の288頭(昨年の274頭から14頭増)、サラ系7レース計では23カ国から延べ1,880頭が登録を済ませた。以降3回追加登録の機会があり(追加登録料が必要)、3月22日(レース5日前)の出馬登録時には、ワールドカップの場合 $100,000の登録料が必要となる(他に騎手登録料 $164)。渡航費用が無料でも物見遊山で参加できるような額ではない。

寒さで思うように調教を進められない英仏からの参戦はなかなか困難でもあるし、国を留守にできない一流馬も多くいるだろう。厳しい戦いのあとでまとまった休みを必要としているクラシック馬もあれば、種牡馬として新たな挑戦を始めるチャンピオンもいる。人間のオリンピックのように、ワールドホースランキングの上位馬がこぞって参戦するようなことはまず望めない。それでも世界のいろいろな国から、さまざまな血統や宿命を背負った馬たちがドバイに集まってくる、我々は世界のどこでどんな競馬がおこなわれているのか、どんな馬が活躍しているのかを知り、もっと知りたいと願う。ふだんは一緒に競馬をすることのないホースマンも互いに多くを学ぶだろう。ワールドカップは世界の競馬が出会い、競馬の魅力を発信する万国博覧会だ。血統と馬格を同時に確認するこのできる国際見本市だ。そしてなによりも、一流の馬とジョッキーが織り成す移動式美術館だ。

なぜワールドカップの馬場がダートからオールウェザーに変更されたのだろうか、馬の安全と馬場管理の容易さが主な選択理由だろうが、他に理由はないのだろうか。なぜメイントラック(外側)が芝なのだろうか、タペタはやはり芝馬に有利なのだろうか。冬季開催や芝保護が主目的とはいえ続々ヨーロッパの競馬場に導入(予定含む)されるオールウェザーコースとの連携を何か考えているのだろうか。2年連続オールウェザーでブリーダーズカップを開催したロスアンゼルスのサンタアニタ競馬場では雨のため開催中止が目立つが、今後本当にダートにもどるのだろうか、その場合アメリカ競馬はダート主体に戻っていくのだろうか。馬場をめぐるクエスチョンは尽きない。ドバイの動きが世界にどのような影響を及ぼすのか、いまはただ見守るだけだ。

ゴドルフィンの所属馬で印象に残る全兄弟がいる。ドバイデスティネイションDubai Destination (USA)デスティネイションドバイDestination Dubai (USA) 。二つの単語を並び替えただけの馬名、ドバイへ、ドバイへ、サラブレッドの最終目的地ドバイへ、DDDDと頭韻を踏んで、モハメド殿下の熱いメッセージが伝わってくる。今年も豪華絢爛なアラビアンナイトで世界の競馬が幕を開ける。

日本からも大いなる野望を胸に勇敢な戦士たちが参戦する。いつもとちがって帽子と勝負服がコーディネイトされたトータルファッションに後光が射して、色の洪水の中でいったいどんな景色がみられるだろうか。ドバイでも馬券が買えないのなら(全レースの単勝当て懸賞などはある)、4時間たっぷりのライヴ放送で心ゆくまで酔いしれてみたい。
きっと世界の競馬が好きになる、もっと日本の競馬がいとおしくなる。