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プロフィール
村上卓史さん

1966年9月26日生まれ
神奈川県出身
放送作家。
担当番組は「炎の体育会TV」「OH!どや顔サミット」「もしもツアーズ」「ウチくる!?」「みんなのKEIBA」などレギュラー10本以上。
エンジェルツイート(東京2歳優駿牝馬)、エルドラド(シンガポールゴールドC)、キリンチャンの共有馬主。
1999年にNAR馬主資格取得、2008年にJRA馬主資格取得している。

フジテレビ『みんなの競馬』『なまうま』といった競馬番組を始め、スポーツ、バラエティーの放送作家として幅広く活躍する村上卓史さん。
いわゆる“業界関係者”として独自の立ち位置を持つ馬主さんに、興味深い話を聞くことができた。まずは競馬の入り口から。

「ボクが大学生の時にオグリキャップブームが来たんですよね。知人に『競馬場、面白いぞ』と連れて行かれたのがオグリキャップのオールカマー。オグリキャップという馬のすごさはもちろん、会場の盛り上がりがすごくて。あ、競馬ってスポーツなんだなと。それまではおっさんたちがお金を奪い合うギャンブル色の強いものだと思ってましたから。
そこからオグリキャップを見るようになって。オールカマーから毎日王冠、そして秋の天皇賞でスーパークリークと死闘を演じる…。名勝負が続いたタイミングだったから、なんて競馬って面白いんだと完全にハマってしまいました(笑)」。

それでも馬券で一獲千金は狙わなかったと言う。

「全部“応援馬券”なんですよ。スポーツを楽しむ+応援する意味での馬券。万馬券なんて取ったことがなかった。
ただ、3歳時のオグリキャップを知らなかったから、正直“オグリブーム”には乗り遅れた感があって(笑)。じゃ次に何に注目しようかと思ってたら、地方からイナリワンが来た。当時、品川に住んでいたから、“大井から来たぁ!”と親近感が沸きましたね。
スターよりそれを倒すアンチ・スターが好きなので、ライスシャワーなんかも好きでした」。

競走馬への出資は共有クラブから。

「一口馬主の存在を知って、まずは友駿、そのあとユニオン、そして社台へ。最初はデビューすらしない馬が多くて。一ファンとして走る馬しか見てこなかったので、レースで走ることがこんなに大変なのかと。競馬を知る意味ではよかったです。
最初の重賞はパームシャドウのNHKマイルC。いきなりのGⅠだから、新聞の出馬表を見た時は、おぉ~っとなりましたね(笑)」。

競馬仲間との出会いはインターネットで。

「ネットの中に“競馬好き集まれ”みたいな、今でいう掲示板のようなものがあって。そこで知り合った人たちでサークルみたいなのを作ってたんですよ。
当時、パソコンいじってる人はまだそんなに多くないから、先端を行くような人たちが集まっていた。その中に“ダビスタ”の薗部(博之)さんもいたんですね。薗部さんが先に馬主になって、『あ、馬主ってなれるんだ』と。
でも資格を満たすラインを見たらあり得ないような金額で(笑)。ちょっと無理だろって思った時に、地方競馬なら取れるかもと。それで1999年に地方の馬主登録をしたんです」。

こうして始めた個人オーナーの道。その後、転機となる縁を引き寄せる。

「実は2003年にシンガポールの馬主資格を取ったんですよ。その2年前ぐらいに競馬仲間を通じて高岡調教師と『シンガポール競馬が盛り上がってるから見に行こう』ってなって。で、それがきっかけで先生が現地の調教師になったから、じゃあ、できる限りみんなで馬を預けて応援しようと。それで持ったのがエルドラド。シンガポールの2大レースのうちの1つ、ゴールドCを08、09、11年と3度も勝ってくれて。日本産馬で、父ステイゴールドということでも話題になった馬。これがデカかった。
思えばパソコンの書き込みで知り合った人から、『競馬場においでよ』と誘われたのがオグリキャップの時。ネットだから東京だけじゃなく北海道の人もいて。本来なら知り合えない人たちと出会えたのが大きかった…。人と会うことで馬主に向かっての夢が開けていったというのはありますね」。

その出会いの中にオリオンファームの三浦啓一氏がいた。今ではせりでの馬選びにも全幅の信頼を置いているそう。

「プロの見る目にはかないませんから(笑)。あそこはオノユウとアンペアで、2年連続エーデルワイス賞を取った。ボクにとっては結果を出している人と組めたこと、それが一番の“馬主運”ですね」。

三浦牧場からオリオンファームに変わった時に、一緒に申請した中央の馬主資格。そして認可が下りる。

「最初は三浦さんと共有の形で、ハンナリトという馬を持ったんですよね。(タレントの)安田美沙子さんに名前を付けてもらい、(お笑い芸人の)麒麟の川島くんに勝負服のデザインを決めてもらった。だからボクの勝負服はキリンみたいな柄になり(笑)。
せっかくTVの仕事をしてるんだから、何か話題になることをやった方がいい。タレントさんを絡めることに賛否両論あるかもしれないけど、結果として、たった1頭の牝馬がスポーツ紙なんかでもたくさん取り上げてもらえた。活躍はできなかったけど、母親にもなれた。やったことは無駄じゃなかったなと思うんです」。

2011年の東京2歳優駿牝馬を勝った、エンジェルツイートもオリオンファームとの共有だ。

「あの馬は北海道サマーセールの1歳セールで283.5万円。エンジェルツイートと一緒にNARの表彰を受けたオオエライジンの半妹で、“よくあんな良血馬を買えたね”みたいなことを言われるんですけど、買った時点ではオオエライジンはまだ園田で1勝しただけ。それで見抜いてるんだから、やっぱりプロにはかなわないなと(笑)」。

2歳の7月に予定していた道営でのデビュー戦は直前で取り消すことに。

「歩様に乱れが出て…。角川調教師が『この馬は未来のある馬だから無理はやめよう』と。で、仕切り直しのレースでデビュー勝ち。次の4着も牡馬相手に0秒1差なら力があるなと。
続くサッポロクラシックCを勝って南関東に移籍してからも、平和賞では初の南関東の重賞で初の左回り、牡馬相手、一気の距離延長に騎手も直前での変更。
そしたら勝っちゃった。『え~っ、勝っちゃったよ~』って感じ(笑)。
でもこの馬って、一度も1番人気になったことがないんですョ。ま、応援馬券で単勝を買う方にとってはすごく助かるんですけど(笑)」。

そして暮れの東京2歳優駿牝馬を制して、南関東の2歳女王に。2012年の予定としては、桜花賞から東京プリンセス賞へ。牝馬クラシック路線の王道を突き進む。

「このエンジェルツイートは名前をツイッターで公募したんです。マスコミとしてのボクが、競馬に関わってできること、それはトピックスを作って競馬に注目を集めること。それが自分の使命だと思ってやってるんですよね。ハンナリトもエンジェルツイートも、それで応援してくれる人が増える。タレントさんも『応援してます』と取材を受けてくれることによって競馬が話題になる。ボクをフォローしてくれてる人が何千人とみてくれるので、その人たちも“そんな馬がいたんだ”とちょっとは関心を持ってくれる。競馬中継の仕事をやってるけど、普段競馬をやらない人に、どうやったら競馬番組を見てもらえるか。自分の馬なら胸張ってできるし、ちょっとしたムーブメントをポジティブに起こせる。それが楽しみなんですよね」。

村上氏の馬主としてのオリジナリティ、志がそこにはある。今後も何を仕掛けてくれるのか、楽しみに待ちたいと思う。
最後にこれから馬主になりたいと夢を抱く皆さんに一言。

「馬券だけだと競馬の一番いいところしか見ないでしょ。馬主になることで、違う面から競馬を見ることができるようになる。
競馬新聞の生産牧場の欄も単なる記号のように眺めていたけど、実際馬を持つと、1頭の馬が走るまでって本当に大変なんだなと。競馬観が変わりますョ。未勝利戦がものすごく愛しくなりますから(笑)」。

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