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プロフィール
辻高史さん

1970年12月11日生まれ
京都府出身
1999年大阪大学大学院経済学研究科 前期課程修了
1997年より朝日監査法人(現有限責任あずさ監査法人)勤務
2001年公認会計士登録
2007年あすなろ監査法人設立 代表社員として現在に至る
2013年JRA馬主資格取得
2014年NAR馬主資格取得

馬主になって最初の自分名義の馬が、ダート重賞2勝、ジャパンダートダービー2着と、ダート界を賑わしたクロスクリーガー。
彗星の如く現れ、そしてまた彗星の如き速さで競走馬生命を駆け抜けていった、この馬のオーナー、辻高史氏にお話を聞いてみた。
意外なことに、当初、競馬への興味はそれほどでもなかったそう。

「私の父がJRAの馬主に登録していて、それから30年近く馬主をやっているのですが、たまに競馬場に一緒に行く程度。全然、競馬の世界には踏み込んでいなかったんです。
ところが、5年前に母を亡くしまして。それから、父の唯一の趣味である競馬に付き合おうということで、父の所属している京都馬主会の親睦会などにも参加してるうちに、『競馬って、こんなに面白いんや』と(笑)。
で、馬主申請できるかなと思ったら、幸いにも登録できると。それで私もJRAの馬主資格を申請しました」

初めての自身の名義の馬が、クロスクリーガー。

「この馬、私が代表名義になっているのですが、実は、中京馬主会の吉田勝利さん(このコラムの第7回に登場)と半分共有なんです。
それ以前に吉田さんと馬を持ちましょうと。じゃ来年は2頭。どういう馬を選ぼうかと話をしている時に、北海道トレーニングセールにこういう馬が出るんだけど、いかがかなと。
今なら『じゃ、馬を見てから』と言うけれど、当時は『それならいってみましょう』と即答でした。だから、私自身がクロスクリーガーを選んだわけではないんですが、ただ、『2頭のうち、辻さんの名義はどっちがいい?』となった時、クロスクリーガーの誕生日が2012年4月11日だった。馬主になるきっかけが、母を亡くした父を励ますためで、その母の命日が2011年12月4日。さらに私の誕生日が12月11日なので、『なんか数字の並びに、母の縁があるなあ』と。その数字だけで選んだんですよ。
実際に馬を見たのは、5月のトレーニングセールから2ヶ月ほど経った頃。目を見た時に、すごく理知的な馬だなぁと。目の奥に何か持ってるような印象がありました」

そして、初の名付け。

「クリーガーとは、ドイツ語で“戦士”。目の奥に感じた闘志からの言葉です。クロスは“十字”。道で言う“辻”なんです」

さらに、勝負服も選ぶ。

「父の勝負服はピンクが主体。実は、30年近く馬主やってますが、1勝もしていない…(笑)。だから勝負服は変えようと。より早く走るには?と考えた時、今もですが、当時“早い”と言えば、ジャマイカの短距離ランナー、ウサイン・ボルト!あれぐらい早く走れたらということで、ジャマイカの国旗をイメージしてみました」

名付けも、勝負服のデザインも、馬主ならではの楽しみ。そんな“新米”馬主さんの初戦は、2014年9月27日の阪神競馬場。ここでクロスクリーガーは、鮮烈なデビューを果たす。

「パドックで、自分の勝負服を岩田騎手に着てもらってる…。それにまず感動しましたね。父も含め、周りの馬主さんたちからも『1つ勝つのは大変だぞ』と言われてましたから、私もそう思ってたんですが、4コーナーを回って、馬群の中からヒュッと抜け出してからの伸びがすごくて。あれだけ(16馬身、2秒1差)離したので、ゴールに入る前から父と握手!いやぁ、本当にうれしかったですね。父はホントに喜んでました。辻の名前で初めての口取りですから」

その後、芝の黄菊賞で6着に敗れたものの、芝でもやれることを確認。続くダートの樅の木賞で優勝。年が明けて、ヒヤシンスS3着の後、伏竜Sを優勝、交流重賞の兵庫CSも2着のリアファルを1秒5離す完勝で、初のタイトルを手中に収めた。

「共有者の吉田さんが馬主初心者の私に、『こういうルートがあるよ』と、今後のスケジュールを矢印で書いてくれた。その中に“ドバイ”というのもあって。『何ですか?このドバイって』と(笑)。もし、黄菊賞に出ず、北海道2歳優駿に行ってたら、UAEダービーに行ってた可能性もあったのかなと。ところが抽選で漏れる。ヒヤシンスSの時も、「もし勝ったら、ドバイから招待状が届くよ」と。結果、負けてドバイ行きは消えたけど、お陰でその後、伏竜S、兵庫CSと国内のレースを勝てた。あの頃は『ドバイ行かずによかったね』と言ってたんですが…」

そして、いよいよ3歳ダートの頂点を決める、ジャパンダートダービーに出走。圧倒的1番人気に推されるも、ノンコノユメの強靭な末脚に屈し、残念ながら2着に終わる。

「勝負だから、仕方ない。理由がどうこうとか、悔しいとかはあまり思わないようにしています。
それよりも、父のように長く馬主を続けていくことで、この2馬身半を、この0秒5という差を、20年、30年かけて埋めていきたい。この意味は何だったんだろうって、確かめたくなったんです」

夏の新潟のダート重賞、レパードSで、ダノンリバティ以下を破り、再びの重賞制覇。ところがこの後、予期せぬ事態がクロスクリーガーを襲う。

「父は着物の卸業をやってまして。父は呉服姿で新潟競馬場に。デビュー戦からずっとですが、母の遺影をしっかり抱いてレパードSの口取り写真に入りました。
ところが、その1ヶ月半後、クロスクリーガーがX大腸炎だと。それがどれだけ重い病気かわからないから、ネットで調べても、病気自体がよくわからない。一晩中眠れなかったですね…。
その少し前に北海道に行っていて、この馬に会って来たばかり。それが最後でした。
残念だけど、生き物には寿命があると思っていて、これがこの馬の寿命なんだろうなと。ただ、あまりに鮮烈な出会い。一生忘れないし、これがどういう形で自分の人生に影響を与えるのかは、これからのことかなと思ってます。
正に“人間万事塞翁が馬の如く”。自分や家族にとって、何が福で何が禍だったのか、今でもわかりません。それの繰り返しでしたから。本当にこの馬に出会って、それを1年で体現したという感じでしょうか」

辻氏にはお子さんがひとり。2014年9月に生まれた娘さんがいる。

「父の職業から、“糸”を残したいと。そこで“紗”の文字を使って“紗良(さら)”。午年生まれなので、サラブレッドの“サラ”でもあります(笑)。
訳があって、一緒に暮らしていないのですが、この娘を競馬場に連れて行くのが夢で。伏竜Sを勝った時に、もしかしたら日本ダービーに出せるんじゃないかと。口取りは無理にしても、自分の馬をダービーに出走させて、娘をそこで競馬場デビューさせるなんて、一生出来ないと。
ところが、大人の事情で叶わなかった(笑)。娘の母が首を縦には振らなかった。『日本ダービーなんて、後300年生きても無理やで』と言っても『いやだ』と言われ、それなら無理に芝のレースに出さなくてもいいかなと。あそこで『行きたいっ』と言われてたら、吉田さんにも、庄野調教師にも、『いや、どうしても!』って言ってたかもしれませんね。
いやいや、娘を競馬場にデビューさせたいという夢は、今も持ち続けてますョ。父との口取りの夢は、思いのほか早く叶ったので、今度は紗良に、自分の名前の由来や、周りのみんな愛情、思いを、馬を通じても感じて欲しい。今すぐでなくてもいい、いつかわかって欲しい。そう願っています」

さらに甥っ子の凛生(りお)くんにも、競馬の遺伝子は受け継がれているようで。

「おじいちゃんである父に競馬場に連れていかれ、幼稚園の時から馬が好き。馬に乗れる施設なんかで馬に跨がると、係のお姉さんに、『この馬、いくつ?』と尋ねる。『14歳よ』と聞くと、『じゃあ、もう競馬は走れないね』と私に言う。『なんで、そんなことわかってんねん』と(笑)。
今は小学校6年生ですから、競馬のゲームもある。レースのローテーションも組む。私より、よっぽど詳しい(笑)。
それがクロスクリーガーのお陰で、彼も鮮烈な体験をした。今は乗馬を始めていて、オリンピックに出るのが夢だと言ってます。
先日、北海道に一緒に連れて行き、馬産地を回ったんです。馬の世界の皆さんが、実際どんな生活をして、どう馬と触れ合っているのかをちゃんと見て欲しかった。馬の出産、種付けも見せました。日高では牧場の方々と食事もしながら、話を聞かせてもらい。大人が吸収するより、遥かに吸収しているはず。
こうして、次の世代に繋げていけたらいいなと。自分も父から繋いでもらったのですから」

北海道のセリにはほとんど参加するなど、本当に勉強熱心な辻氏。実際に自身で手も挙げ、購入もしている。

「最初はみんなと会話ができず。馬の名前ひとつとってもそう、昔のレースも知らないのですから。だから、この1年間心掛けたのは、みんなとの“共通言語”を身に付けること。自分で興味を持って、勉強して、会話についていけるようになろうと。
馬には脈々と続くものが引き継がれている。それが馬本体。ただ、いくら血統や馬体が良くても、後からかかわる人で馬の運命は変わっていく。そこが興味深いと思うんです。
だからこそ、喜びや楽しみは共有したい。仲間の馬が勝ったら、みんなでお祝いをしたい。そういうことを分かち合う中で、多くを学び、自分の馬に対しての見方を、少しでも前に進めたられたらと思っています」

今後の夢は?

「父の勝負服を復活させ、父と一緒に馬を持ち、とにかく1勝を(笑)。父の名義で口取りをする、というのが直近の目標になりました」

最後に、馬主になりたい人へのメッセージを。

「人が人を繋ぎ、人が馬を繋いで、その馬がまた人を繋ぐ。それをさらに次の世代に繋いでいく。いろんな縁が馬を繋いで、縁が人と馬を繋いでいくんだなと。
私の場合は、父を励ます、家族の絆を繋ぐというのがきっかけでしたが、きっかけはそれぞれでいい。目標や目的もいろいろあっていいと思うんです。
幸運はあり得る世界ですョ。自分がそれを実際に体験しましたから(笑)」

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