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第63回 弟子を受け入れ育てる~師匠の懐の深さと器の大きさ~

2015.06.15
 先月号で2ヵ月見ず知らずのペルー人女性を預かったという話題を書きましたが、今回身にしみて人を預かるということの大変さを実感しました。
 やはり価値観の違いからか、新たな発見や気づきも得る一方で、なぜ?どうして?という疑問も生まれ、精神的にストレスのかかることも。

 そう考えると、競馬の世界で弟子を受け入れ、騎手を育てあげた方々の偉大さを感じずにはいられなくなりました。ましてや弟子を育てるということは、その過程において厩舎経営に影響を及ぼすことも想像できますし、一昔前は今のような若手騎手のための寮もなかったですから、寝食を共にし、家族同然の生活振り。それでいて大勢の弟子を受け入れた方も少なくないだけに、懐の深さというか、器のデカサを感じます。もちろん状況や情勢、システムの違いから、今と昔を比較することはタブーなのですが、しかしながら弟子を育てたその先に得るものは大きいようにも...。

 例えば関西テレビ「競馬BEAT」の解説者である浜中騎手の師匠・坂口正大元調教師。浜中騎手が騎乗している際は、「浜中、ガンバレ!俊、ガンバレ!」と応援される坂口先生。そして、「師匠と亡くなられた師匠の奥さんがいなかったら、僕は進むべき道からそれてしまい、軌道修正できない状況になっていたと思う」と、師匠と奥様に育ててもらった立場を十分に理解し、騎手として邁進し続ける浜中騎手。

 しかしそんな坂口先生も、実は浜中騎手が最初で最後の弟子なのです。

 というのも調教師であった父上が12人の弟子を抱えていた背景から、家族の一員として騎手を育てることの大変さを身にしみて感じており、幾度となく競馬学校からお願いされる候補生の受け入れを拒否し続けていたのだそう。

 しかし65歳を迎えての調教師会長の退任を機にラスト5年は弟子を引き受けてもいい心境にもなり、競馬学校の教官に、「ハンサムで頭の良い人材ならOK」と、ハードルの高い条件を提示したところ、学校側から即答で「1人います」とかえってきたのが、浜中騎手だったのです。

 「うん、ほんとにハンサムで...」と、今では弟子を通り越して孫を語るかのような表情で嬉しそうに浜中騎手を語る先生の週末の楽しみは、競馬新聞を広げ、浜中騎手の騎乗馬と、ご自身が育て上げた種牡馬の産駒にマーカーで印をつけることから始まるのだそう。

 調教師を引退されても、育てあげてきた馬と人がしっかりとフィールドに根付き、繋がっている。無条件にステキだなぁ~と思える背景には、土を耕し、種をまき、水を与え、時には嵐から苗をまもり、手塩にかけて育ててきた道のりが、ステキな花を咲かせているからなのでしょう。

 以前、角居調教師が「日本の厩舎制度は継承されない...。70歳の定年と共に皆が解散。そこで全てがリセットされてしまう。海外は、その厩舎で歩んできたものが引き継ぐ形が多い。その差は大きい」と話されていましたが、その点もさることながら、年々若手の調教師が誕生していますが、私個人の意見としては、馬の世界は技術職。

 テストの点数をとるために、若くして調教助手となり、朝の調教時間を馬とではなく本と向き合う日々を送る人材ではなく、持ち乗り助手として、担当馬に乗り、脚元を見、体を触り、獣医師や装蹄師と治療の相談をするなど、長い時間きちんと馬と対話をし、実績を積み上げてきた人々が厩舎を開業すれば、馬を育ててきた経験がさらに活かされ、継承されていくことも多い気がします。

 皆さんは、どうお考えになりますか?
 それではまた来月お逢いしましょう。
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