ホソジュンのウマなりトーク
第64回 競馬サークルにおける女性の役割~まだまだ改革・飛躍・発展のチャンス~
2015.07.14
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先月、静内軽種馬生産振興会が主催される講話会にお招き頂き、「競馬サークルにおける女性の役割」というテーマを元に、騎手時代の出来事や引退後に取材をする立場となって感じる現在の競馬社会、そして将来への希望をお話させてもらいました。
とはいっても昔から自分のことについては、喋るのも話を聞くのも大の苦手。周囲の方々には、「日頃、テレビで喋っているのだから平気でしょ?」と言われますが、不思議なもので人や馬のことだとカメラあり・なしにかかわらず、さほど構えずに話せるのですが、自分の事となると話は別で、恥ずかしいやら、緊張するやらで、今回も頂いた1時間のうち半分も喋ることができませんでした...。
反省すると共に今後の課題も感じた時間となったわけですが、改めて競馬サークルで働く女性の役割について考えてみると、この十数年での変化と同時に、今後まだまだ女性が活かされそうなポジションなど多様にある気がします。
振り返ってみると、私がこの世界に入った約20年前は女性の数が今ほどではなく、助手さん、厩務員さんもたった数人程度。ましてや騎手候補生としては最初という立場でもあり、今振り返ると目立つ存在だったのでしょう。
それゆえ、小さなことでも大きく捉えられてしまうことや、それに伴う誹謗中傷など、周囲の目が怖くて仕方のない時期もあり、調教以外の時間をひきこもるように部屋で過ごし、食べることで気持ちが安定していた時もありました。
そのせいで騎手でありながら、人生で最大級の体重に...。
また落馬でもしようものなら、たちまち「ネイちゃん落ちたらしいな」とトレセン中の噂になり、一度の落馬で何度も落ちているような冷たい周囲の視線が気になるように...。
よってそれ以降は馬に乗るたびに、(落ちたらいけない、なめられてはいけない)と意固地になり、馬との対話はおろか、敵対するような関係に発展していってしまった気がします。
今にして思えば、パイオニアの難しさとは、その物事に対する難しさ以前に、整っていない環境の中でも自分を見失わずに歩める判断力や精神力、適応力、思考力といったものなのでしょう。
しかしながら少ないといえども、コンスタントに女性の数は安定し、時代と共に少しずつ増えていったことや、同業者同士での結婚もあり、今の競馬サークルで働く女性方を見ていると、昔ほど皆が肩肘張らずに自然体で仕事に臨めているようにも思えます。
そして何よりも受け入れる男性側が以前ほど構えずに女性に接しており、異性と共に働く免疫力が備わっているようにも感じるのです。考えてみれば男性社会しか知らなかったところに女性が加わるということは、男性方にとっても手探りで未知なこと。やはり両者とも互いに自然ではなかったのでしょうね。
そして性別を意識しすぎるあまり、当時は女性という性別で見られることに非常に抵抗があり、個として捉えるべきだと思っていた私ですが、今では、やはり女性と男性における構造の違いや、歴史背景からの思想性の違いなど、明らかに男性と女性には違いがあると認識し受け入れられるようになりました。
そして性別を意識せずに働ける環境になりつつある今だからこそ、男性社会だからこそ築けてこれたものがある一方で、偏りすぎているものもあるように感じ、その点を明確にした上で女性の目線での新たな考えや切り口が加われば、まだまだ改革・発展・飛躍のチャンスが競馬サークルには隠されている気がしてならないのです。
例えば...と書きたいところですが、長くなりそうなので具体例はまたの機会に。
皆さんはいかがお考えになりますか?
それではまた来月お逢いしましょう。
ホソジュンでしたぁ。
とはいっても昔から自分のことについては、喋るのも話を聞くのも大の苦手。周囲の方々には、「日頃、テレビで喋っているのだから平気でしょ?」と言われますが、不思議なもので人や馬のことだとカメラあり・なしにかかわらず、さほど構えずに話せるのですが、自分の事となると話は別で、恥ずかしいやら、緊張するやらで、今回も頂いた1時間のうち半分も喋ることができませんでした...。
反省すると共に今後の課題も感じた時間となったわけですが、改めて競馬サークルで働く女性の役割について考えてみると、この十数年での変化と同時に、今後まだまだ女性が活かされそうなポジションなど多様にある気がします。
振り返ってみると、私がこの世界に入った約20年前は女性の数が今ほどではなく、助手さん、厩務員さんもたった数人程度。ましてや騎手候補生としては最初という立場でもあり、今振り返ると目立つ存在だったのでしょう。
それゆえ、小さなことでも大きく捉えられてしまうことや、それに伴う誹謗中傷など、周囲の目が怖くて仕方のない時期もあり、調教以外の時間をひきこもるように部屋で過ごし、食べることで気持ちが安定していた時もありました。
そのせいで騎手でありながら、人生で最大級の体重に...。
また落馬でもしようものなら、たちまち「ネイちゃん落ちたらしいな」とトレセン中の噂になり、一度の落馬で何度も落ちているような冷たい周囲の視線が気になるように...。
よってそれ以降は馬に乗るたびに、(落ちたらいけない、なめられてはいけない)と意固地になり、馬との対話はおろか、敵対するような関係に発展していってしまった気がします。
今にして思えば、パイオニアの難しさとは、その物事に対する難しさ以前に、整っていない環境の中でも自分を見失わずに歩める判断力や精神力、適応力、思考力といったものなのでしょう。
しかしながら少ないといえども、コンスタントに女性の数は安定し、時代と共に少しずつ増えていったことや、同業者同士での結婚もあり、今の競馬サークルで働く女性方を見ていると、昔ほど皆が肩肘張らずに自然体で仕事に臨めているようにも思えます。
そして何よりも受け入れる男性側が以前ほど構えずに女性に接しており、異性と共に働く免疫力が備わっているようにも感じるのです。考えてみれば男性社会しか知らなかったところに女性が加わるということは、男性方にとっても手探りで未知なこと。やはり両者とも互いに自然ではなかったのでしょうね。
そして性別を意識しすぎるあまり、当時は女性という性別で見られることに非常に抵抗があり、個として捉えるべきだと思っていた私ですが、今では、やはり女性と男性における構造の違いや、歴史背景からの思想性の違いなど、明らかに男性と女性には違いがあると認識し受け入れられるようになりました。
そして性別を意識せずに働ける環境になりつつある今だからこそ、男性社会だからこそ築けてこれたものがある一方で、偏りすぎているものもあるように感じ、その点を明確にした上で女性の目線での新たな考えや切り口が加われば、まだまだ改革・発展・飛躍のチャンスが競馬サークルには隠されている気がしてならないのです。
例えば...と書きたいところですが、長くなりそうなので具体例はまたの機会に。
皆さんはいかがお考えになりますか?
それではまた来月お逢いしましょう。
ホソジュンでしたぁ。