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第177回 ホースコラボレーターとしての20年~今の率直な気持ちとは~

2024.12.18

 振り返ると、このコラムを書き始めたのは、オウケンサクラがフラワーCを制したあたりの記憶ですので2010年。


 約14年にわたり、毎月コラムを書かせていただいたことになります。


 あの当時は毎週、栗東トレセンに通い、厩務員さんや持ち乗り助手さんを中心に取材。重賞レースともなると前哨戦からのGⅠとなり、在厩期間は3か月以上。牧場からの帰厩から変化していく馬の様子や各々の個性を教えてもらうことで、「馬のことや、担当者の方がどんなことに気を配りながら日々、接しているのかを知りたい」と、夢中でトレセン内を走りまわっていました。


 そんな日々を懐かしく思うとともに、先月のコラムにも書きましたが、騎手引退当初は競馬学校入学前の高校卒業時に戻り、別のことに再出発するつもりでいたので、まさか自分が今のように競馬を伝える仕事に就くとは思いもよりませんでした。これも武豊騎手のアドバイス&サポートと、騎手として大成しなかった私に、競馬界への恩返しをしたらという母の勧めもありホースコラボレーターとして第2の人生がスタートしたわけですが、あの当時から今に至るまで、ほぼ全ての依頼は引き受け歩んできました。


 中でも大変だったのが、藤田菜七子ちゃんのデビュー時。広報が、各種問い合わせの際、私の連絡先を伝えたことで、普段、競馬を報道しないメディアからの問い合わせが殺到。しかも問い合わせの多くが、「調整ルームとは?どういう経緯で騎乗馬が決まるのですか?」と初歩的なところからのスタート。1社、1時間~1時間半にも及ぶ電話取材を10以上こなしました。


 しかもあの当時は息子がまだ3歳で、父は抗がん剤の治療中。母に両方の負担をかけながらとなってしまい、今でも申し訳ないことをしてしまったと後悔をしていますが、あの当時も、「競馬が広まる素晴らしい機会。伝えることがあなたの役目なのだから」とサポートしてくれました。


 そうやってこの20年を過ごしてきましたが、ここ数年の組織としての在り方には理不尽さや世間とのずれ、人や状況によってのジャッジの物差しがあまりにも違う点など、首を傾げることばかり。


 特に藤田菜七子ちゃんの引退においては、虚偽という言葉で彼女一人に責任を問う形としましたが、そもそも1年前、女性騎手5人と角田大河くんの6人が騎乗停止となった際、警告となった騎手が存在していたことや、何が6人とは違ったかなどの説明がなかったことが不可思議。


 1人の女の子が騎手を夢見て、縁故関係のない環境から競馬の世界に飛び込み、女性騎手の閉ざされた道を救い、また年数を重ねる中、騎乗数や勝ち星を挙げることが難しくなる状況を打破するため、栗東に拠点を移すなどの努力を惜しまず歩んできた彼女の最後がこのような形になったことは本当によかったのでしょうか。


 また私自身もこれまで、競馬普及に繋がると思い、依頼や相談事のほぼ全てを断らずに時間と労力を費やしてきましたが、このように自身の考えを述べること、そして初の女性騎手としての役目は卒業することにしました。


 身勝手ですが、来年で区切りの50歳。心持ち、少し距離を置きながら歩んでいきます。
 皆さま、長きにわたりご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。


 細江純子。

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