JBIS-サーチ

国内最大級の競馬情報データベース

第91回 書評に悩む秋~変化しつつある母校と騎手の世界~

2017.10.20
 秋ですね。秋といえば、食欲の秋・スポーツの秋、そして読書の秋ですが、先日、スポーツ雑誌「Number」から、女性騎手を題材とした小説の書評依頼がありました。これは初の出来事。1000文字程度なので、文字数としては多くないのですが、なにぶん書評というのが初めてゆえ、(そもそも書評って、何を大事にして書けばいいのか?)と悩むことからスタート。
 あらすじが中心となれば、説明文のようになってしまいますし、自分の感じたことにおもむきを置けば読書感想文に。

 また書評の「評」の文字から評価と連想してみたものの、評価できるほどの読書量や立場でもないゆえ、一言で書評と言われても、非常に考えさせられる言葉だと感じました。

 こんな時は、1か月の原稿量が月の日数をはるかに超える井崎脩五郎先生に伺うのが1番と思い、相談にのって頂くと、「書評を読んだ人が、その本を手にとって読みたくなるような内容が良い」とのアドバイス。

 確かに書評を読む方は、まだその本を読んでない人々が対象となり、これから読んでみようかな?読んでみたいな?と感じてもらえることが重要。

 さすが書き手のプロ井崎先生だなぁ~と感謝の思いとなるとともに、つい先日、武豊騎手が草津の小学校で5・6年生の子供たちに講演をされた際の言葉が思い起こされました。それは、「常に相手の気持ちになって考えることが大切。思いやりの心を大事にしてほしい。これは全てにおける基本だと思う」と、お話をされていましたが、今回の書評1つとっても、自分がどう書くかという以前に、読んだ方々がどう思うか?また筆者は何を大切にされているのか?が大事であり、全ての物事の基本というアドバイスをされた武豊騎手の言葉が、ふと思い起こされたのでした。

 さて小学校6年生と言えば、私もそのぐらいの年に馬に興味を持ち始め、騎手に憧れを抱き始めた頃。そんな当時の自分を思いだすとともに、その翌週には競馬学校を取材することとなり、2日間にわたり、母校で過ごすことに。

 かれこれ20数年前の約3年間を過ごした場所。校舎や馬場などは昔のままの姿であるのに対し、教官の生徒に対する指導の仕方や、食(お菓子)に関しての向き合い方が当時と180度異なり、その真逆さに時代の流れを感じました。その中でも特に感じた違いは、フィジカルトレーニング。

 体育館で2時間にわたって行われるトレーニングは、半年もすると、生徒全員が前宙をいとも簡単に行ってしまい、バランスボールの上でのジョッキー姿勢もクリア。

 地上でこれほどまでにバランスがとれ、体幹が備わると、馬上での体の使い方や馬の動きに瞬時に反応できることが想像され、昭和のメニュー腹筋・背筋・腕立てをメインにしていた昔が、寂しく思えてしまうほどでした。

 しかしながら、私たちの時代との大きな違いは、騎手を取り巻く環境が、競馬学校卒業生だけではない点。海外・地方のトップ騎手の移籍に加え、短期免許で来日する外国人ジョッキーの免許枠など、変わらないレース数の中で、デビューをしていく状況は、いくら3㌔減の恩恵があるとは言え、厳しいもの。

 現在競馬学校の教官を務める元騎手の小林淳一さんも、「今の生徒は、自分たちが卒業した頃よりも遥かに技術レベルは高い。というのも、騎手の交流が世界レベルになった今、やっていけなくなるから」と、養成学校としての危機感を抱いた中での取り組む姿勢が、この変化となっていると感じるものでした。

 そんな話を朝のトレセンで、2期生の横山典弘騎手、7期生の四位騎手と話をしていると、「確かに、俺らの頃とは違う。俺らは鞍の上に立って乗ったり、馬の上で360度回転をしたり、手を手綱から放して障害飛越をしたり、まるで中国雑技団のようだった」と。そして最後には、「でも、もっと馬に乗らないと」と、今もなお火曜日から調教に足を運び続ける横山典弘騎手の核心をつく言葉が。これこそが現役でい続け、魅了する騎乗をレースで披露されている要因なのだと心に響くものでした。

 既に36期生の代に突入している競馬学校、全ての面において恵まれた環境下の中だからこそ、3期生である武豊騎手の「相手を思いやる気持ち」、2期生横山典弘騎手の「馬にたくさん乗ること」、この偉大なる先輩方の言葉が届いてほしいなぁ~と、早々に騎手を引退した私にとっては、切に願う気持ちともなりました。

 それでは皆さん、また来月お逢いしましょう。
 ホソジュンでしたぁ。
トップへ