ホソジュンのウマなりトーク
第90回 イスの位置は横?縦?~相手の気持ちと想像力の大切さ~
2017.09.13
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実は、ちょっとしたことが非常に大事で、生き方が左右されたり、時として命にも関わる重大なことへと繋がるってことありませんか?
例えば、最近変化をもたらしている駅のイス。
以前は、線路に平行して設置されていたイスが、垂直方向へと向きを換えています。監視モニターから、イスから立ち上がり歩きだした数秒後に躓いて線路へと転落するケースが多いことが分かったとか。
特に、泥酔した状態では千鳥足になってもおかしくはなく、ふらつく状態で列車と接触してしまう可能性や転落してしまう可能性は十二分に想像できますし、気分が悪い状態でイスに座り列車を待っていた際、立ち上がった瞬間にめまいや軽い貧血を起こす可能性も。また足腰が弱くなるお年寄りにとっても危険な状況だったようにも...。
過去の事故において、イスの位置が線路に向いていなければ、接触や転落を回避でき、命を落とさずにすんだケースも多くあったのでは?と思われます。
「イスの位置を横にするか?縦にするか?」ほんのちょっとの違いが、大きな違いに...。こういったことって、身近にもいろいろとあるような気がしていると、駅の改札口で、床に寝転びながら泣く1歳半ぐらいの女の子が。
するとお母さんは、困り果てた表情と苛立ちから、「こんな所で寝たらダメでしょ。帰るよ」と怒鳴り声。挙句の果てに、お母さんが抱きかかえようとするも、子供は子供なりに小さな体を上手に動かし抵抗...。(私も、こんな経験あったよな)と思い出しながら、声をかけようか?かけまいか迷っていると、リュックを背負い、眼鏡をかけた少々小太りの中学生の女の子が駆け寄り、女の子とやり取りをすると、その数分後には泣き止み、スッと立ちあがり、母親とニコニコしながら駅を去っていったのです。しかも子をあやしたかと思えば、そのお母さんを諭すように何かを伝えて。
見るに、小さな女の子は、まだかたことの言葉しか話せない年齢。その子を数分で変えしまった中学生の女の子の姿が、昔、私では乗りこなせず、クルクルとまわりバックしてしまう馬に別の人が乗ったら、スッと素直に歩かせてしまった状況と重なり、それ以来、彼女のことが気になるように...。
とは言え、その場面では疑問を女の子になげかけることはできず、謎のままだったのですが、数日後、また同じ駅で中学生の女の子と遭遇。思いきって、彼女に声をかけ、あの日のことを聞くと、「あの子は、まだ電車に乗りたかったの」と。100%の言葉ではなく、ジェスチャーから紐解いたようですが、彼女曰く、「まず、なぜ泣いているのか?聞くの。その時は否定も肯定もせず。うん、うんと聞くの。それで少し落ち着くの。その後は、好きなオモチャとか、食べ物の話をして、家に帰ったら、それが待っているよと伝えると、気持ちがだんだんと家に向いていくでしょ」と。
馬乗りは時として、「人と馬との知恵比べ・騙しあい」などと表現されますが、まさに気持ちを別のところへと移動している点は共通項。
そして何よりも大事なことは、まず、どうして泣いているのか?その理由を探り、寄り添う気持ちのようにも。それによって、対処方法の選択肢も違い、結果も変わってくるようにも。よく子供の頃に、「相手の気持ちになって考えなさい」と言われましたが、これって、本当に大切なことなことで、駅のイス1つとっても、(もし、足腰が悪かったら?)(もし、泥酔していたら?)(もし妊娠をしていたら?)と、想像できていたら、もっと早く気づけていたこともあったようにも...。
今は馬に乗ることはないですが、3歳の子を持つ母としては、駅で出会った中学生の女の子を見習い、「泣かぬなら、なぜ泣かぬのか?探ってみようホトトギス」の気持ちで息子に接しています。
それでは皆さん、また来月お逢いしましょう。
ホソジュンでしたぁ。
例えば、最近変化をもたらしている駅のイス。
以前は、線路に平行して設置されていたイスが、垂直方向へと向きを換えています。監視モニターから、イスから立ち上がり歩きだした数秒後に躓いて線路へと転落するケースが多いことが分かったとか。
特に、泥酔した状態では千鳥足になってもおかしくはなく、ふらつく状態で列車と接触してしまう可能性や転落してしまう可能性は十二分に想像できますし、気分が悪い状態でイスに座り列車を待っていた際、立ち上がった瞬間にめまいや軽い貧血を起こす可能性も。また足腰が弱くなるお年寄りにとっても危険な状況だったようにも...。
過去の事故において、イスの位置が線路に向いていなければ、接触や転落を回避でき、命を落とさずにすんだケースも多くあったのでは?と思われます。
「イスの位置を横にするか?縦にするか?」ほんのちょっとの違いが、大きな違いに...。こういったことって、身近にもいろいろとあるような気がしていると、駅の改札口で、床に寝転びながら泣く1歳半ぐらいの女の子が。
するとお母さんは、困り果てた表情と苛立ちから、「こんな所で寝たらダメでしょ。帰るよ」と怒鳴り声。挙句の果てに、お母さんが抱きかかえようとするも、子供は子供なりに小さな体を上手に動かし抵抗...。(私も、こんな経験あったよな)と思い出しながら、声をかけようか?かけまいか迷っていると、リュックを背負い、眼鏡をかけた少々小太りの中学生の女の子が駆け寄り、女の子とやり取りをすると、その数分後には泣き止み、スッと立ちあがり、母親とニコニコしながら駅を去っていったのです。しかも子をあやしたかと思えば、そのお母さんを諭すように何かを伝えて。
見るに、小さな女の子は、まだかたことの言葉しか話せない年齢。その子を数分で変えしまった中学生の女の子の姿が、昔、私では乗りこなせず、クルクルとまわりバックしてしまう馬に別の人が乗ったら、スッと素直に歩かせてしまった状況と重なり、それ以来、彼女のことが気になるように...。
とは言え、その場面では疑問を女の子になげかけることはできず、謎のままだったのですが、数日後、また同じ駅で中学生の女の子と遭遇。思いきって、彼女に声をかけ、あの日のことを聞くと、「あの子は、まだ電車に乗りたかったの」と。100%の言葉ではなく、ジェスチャーから紐解いたようですが、彼女曰く、「まず、なぜ泣いているのか?聞くの。その時は否定も肯定もせず。うん、うんと聞くの。それで少し落ち着くの。その後は、好きなオモチャとか、食べ物の話をして、家に帰ったら、それが待っているよと伝えると、気持ちがだんだんと家に向いていくでしょ」と。
馬乗りは時として、「人と馬との知恵比べ・騙しあい」などと表現されますが、まさに気持ちを別のところへと移動している点は共通項。
そして何よりも大事なことは、まず、どうして泣いているのか?その理由を探り、寄り添う気持ちのようにも。それによって、対処方法の選択肢も違い、結果も変わってくるようにも。よく子供の頃に、「相手の気持ちになって考えなさい」と言われましたが、これって、本当に大切なことなことで、駅のイス1つとっても、(もし、足腰が悪かったら?)(もし、泥酔していたら?)(もし妊娠をしていたら?)と、想像できていたら、もっと早く気づけていたこともあったようにも...。
今は馬に乗ることはないですが、3歳の子を持つ母としては、駅で出会った中学生の女の子を見習い、「泣かぬなら、なぜ泣かぬのか?探ってみようホトトギス」の気持ちで息子に接しています。
それでは皆さん、また来月お逢いしましょう。
ホソジュンでしたぁ。