JBBAスタリオンズ名鑑 ~歴史を紡いだ種牡馬たち~
第7回 ロイヤルチャレンヂャー(IRE)
日本に初めて輸入されたネアルコ系種牡馬は1957年に東牧場によって輸入されたアドミラルバード(GB)と言われているが、それから4年後の1961年に輸入されたのが、今回紹介するロイヤルチャレンヂャー(IRE)。大種牡馬ネアルコNearco(ITY)の代表産駒としてナスルーラNasrullah(GB)と並び称されるロイヤルチャージャーRoyal Charger(GB)の直仔で、日本競馬史上初めて有馬記念2連覇を達成したスピードシンボリの父だ。
その現役時代は第二次大戦中の英国で2~3歳時に10戦して4勝、2着2回、3着2回。2歳5月のデビュー戦こそ着外に終わっているが、続くフェンウルフS(芝6ハロン)、チェスターフィールドS(芝5ハロン)をともに5馬身差で勝利すると、かつて英三冠馬バーラムBahram(GB)や英国三冠牝馬サンチャリオットSun Chariot(IRE)、英ダービー馬ダンテDante(GB)らが2歳競馬の最終戦に選んでいるミドルパークS(芝6ハロン)で、のちの英2000ギニー優勝馬で英ダービー3着ダリウスDarius(GB)を破って2歳競馬を4戦3勝で終えている。
3歳シーズン初戦はクラシックトライアルS(芝8ハロン)。ここで3着に敗れると翌週のローズベリーS(芝8ハロン)に出走して優勝。英2000ギニーは大敗し、ダービーを断念している。その後は中長距離路線にシフトしてダウンS(芝12ハロン)、ドゥーンサイドS(芝11ハロン)ともに2着で、のち英チャンピオンS(芝10ハロン)は3着。これら3レースはいずれも少頭数の競馬だったが、長距離適性も証明している。
現役引退後。1955年からアイルランドで種牡馬入り。当初は目立った産駒を出せなかったこともあって1961(昭和36)年暮れに日本への輸出が決まったが、その後にアイルランドの重要な2歳戦レイルウェイS勝ち馬ゲイチャレンジャーGay Challenger(GB)(1959年生)やロイヤルアスコット開催における牝馬の長距離重賞クイーンズヴェース優勝ヘリフォードHereford(GB)(1960年生)を出して前オーナーを悔しがらせている。
父ロイヤルチャージャーは大種牡馬ナスルーラのおじ(母の弟がナスルーラ)にあたる血統で、ナスルーラと同じネアルコ直仔。4分の3同血と表現されることもある。現役時代はロイヤルアスコットのクイーンアンSに勝ったほか英2000ギニー3着など、短距離を主戦場として20戦6勝、2着7回、3着2回(重賞3勝)。現役引退後は愛国ナショナルスタッドで種牡馬生活をスタートさせ英2000ギニーの勝ち馬で、皐月賞馬チトセオーの父ジルドレ(GB)や、愛2000ギニーのシーチャージャーSea Charger(GB)などを出したが、近親のナスルーラが米国で成功したことを受け、米国からの熱烈なラブコールに応えるように渡米。米国でロイヤルオービットRoyal Orbit(USA)(プリークネスS)、モンゴMongo(USA)(ワシントンDCインターナショナル)などを送り出したが、皮肉なことにロイヤルチャージャーにとって最高の後継種牡馬は父よりも一足早く米国へ渡っていたターントゥTurn-to(IRE)だった。
母スカーウエザーSkerweather(GB)は未出走だったが、その父シンガポールSingapore(GB)は三冠馬ゲインズボローGainsborough(GB)直仔で、1930年の英国セントレジャー優勝馬。翌1931年にはドンカスターカップにも勝っている。祖母はヨークシャーオークス勝ち馬だから、この母は、超が付くほどの長距離血統馬だった。
1961年に日本中央競馬会によって23,200ギニー(当時の邦貨で約2,500万円)で購買され、日本到着後に農林水産省に寄贈。その後、日本軽種馬協会に貸し付けられ、千葉県の三里塚種馬場で種牡馬生活をスタートし、静内種馬場、七戸種馬場、那須種馬場と渡り、最後は青森県の民間牧場で種付けを行っている。日本での供用開始が11歳春と比較的遅かったものの、種付けの記録は22歳まで残っており、全国にタフで健康な血を伝えている。日本での代表産駒は冒頭で紹介させてもらったスピードシンボリだが、そのスピードシンボリの産駒スイートルナが三冠馬シンボリルドルフを送り出したことでスイートルナ系が大切にされたのはロイヤルチャレンヂャーにとってはラッキーだった。このファミリーからは2018年のマイルチャンピオンシップに勝ったステルヴィオや、その全妹で一昨年のNHKマイルカップ2着のウンブライルなどが出ている。また、シンボリルドルフ産駒トウカイテイオーによってもロイヤルチャレンヂャーの血は伝えられた。
スピードシンボリ以外でもスイートロイヤル(4歳牝馬ステークス)、コマカブト(カブトヤマ記念2着、京成杯3着、有馬記念5着)、クリニホン(中山大障害2着)などの産駒を残しているほか、持ち込み馬エベリツトがカブトヤマ記念2着、目黒記念(秋)3着と活躍し、本邦産駒よりも先に父の名を高めている。そして、2002年のラジオたんぱ賞勝ち馬カッツミーの4代母の父としても、ロイヤルチャレンヂャーの名を見つけることが出来る。