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第11回 アークティックヴェイル(IRE)

2025.11.19

 1965年(昭和40年)は、本協会の河野一郎会長が急逝するという悲しい出来事があった一方、競馬場ではシンザンが5冠を達成し、フジノオーが中山大障害4連覇という輝かしい成績を収め、競馬がレジャーとして定着し始めた年として記憶されている。ダービーの売り上げが史上初めて10億円を突破し、有馬記念も売上げレコードを記録した。


 この年、日本軽種馬協会では発足以来初めて、外国産種牡馬を購入。英国から2頭の種牡馬を迎え入れている。


 購買価格が2,000万円(2,500万円という記述もある)と記録されているアークティックヴェイル(IRE)は愛セントレジャーの勝ち馬だ。1959年(昭和34年)生まれのこの馬は2~6歳時に愛英仏で通算31戦5勝。2歳時に英国のニューマーケット競馬場8ハロン戦で初勝利を記録すると、3歳時には愛国カラ競馬場で行われる愛セントレジャー(芝14ハロン)に優勝。4歳時にはアスコット競馬場の16ハロン戦サニングヒル・パークヒルステークスに勝ったほかドンカスターカップ(ドンカスター競馬場・芝18ハロン)2着、チェスターカップ(チェスター競馬場・芝17ハロン)2着、イボアハンデ(ヨーク競馬場・芝14ハロン)2着。5歳時にはオーモンドステークス(チェスター競馬場・芝14ハロン)を、6歳時にもヘイドックパークステークス(ヘイドック競馬場・芝16ハロン)を勝利するなど名うてのステイヤーとして活躍した。


 父アークティックタイムArctic Time(IRE)は未出走の成功種牡馬アークティックスターArctic Star(GB)と英国1000ギニー優勝ダンシングタイムDancing Time(GB)との間に生まれた良血馬で、現役時代はキングジョージⅥ&クインエリザベスS4着など7戦3勝。種牡馬として成功したとは言い難いが、日本では同じアークティックスターArctic Star直仔のフィダルゴ(GB)が菊花賞馬コクサイプリンスや東京ダービー馬ロッキラインなどを出して成功している。


 母ミルベイビーMill Baby(GB)は29戦して1勝と凡庸な競走成績しか持たぬ馬だったが、繁殖牝馬としてはタフで健康な体質を産駒に伝え、本馬を産んだあと伊2000ギニー馬マカーリオMacherio(ITY)との間にグレイトヴォルティジュールS(芝12ハロン)に勝って仏セントレジャー2着のラガッツォRagazzo(GB)を送り、その半妹ミルズガールMill’s Girl(IRE)はプリンセスオヴウェイルズS(ニューマーケット競馬場・芝12ハロン)などに勝ったキルテッドQuilted(IRE)の母となっている。日本にはアークティックヴェイル(IRE)の7歳年下の半妹アロニフAlonif(IRE)が、快足ルルヴァンステルLe Levanstell(GB)との間に産んだスズカケⅡ(IRE)が1975年にオンワード牧場によって輸入されており、2010年のエーデルワイス賞、兵庫ジュニアグランプリに勝って全日本2歳優駿2着リアライズノユメや、2017年のアンタレスSに勝ったモルトベーネなどの祖となっている。


 さかのぼれば母系は20世紀に大躍進を遂げたファミリーナンバー14号族のb。本馬アークティックヴェイル(IRE)の5代母ヴェネレイションVenerationが名牝プリティポリーPretty Pollyと1歳違いの半姉妹という関係だ。


 そんな血統背景を持ったアークティックヴェイル(IRE)は現役生活を終えると、そのまま日本の地を踏み、1966年の七戸種馬場から種牡馬生活をスタートさせる。欧州クラシックウイナーで、母系も筋が通っていることから期待され、静内、苫小牧、そして十勝と移動しながら11年間で120頭の血統登録馬を残したものの、軽快なスピードに欠く産駒が多く活躍馬には恵まれなかった。しかし、1968年に浦河町の荻伏牧場で産声をあげたテツノアークは桜花賞馬ハギノトップレディや宝塚記念優勝馬ハギノカムイオー、ダイイチルビーなどと同じくマイリー(GB)を祖とするファミリーで、2009年のフラワーカップを勝ったヴィーヴァヴォドカの曾祖母。テツノアークの名前は2025年9月の2歳未勝利戦に勝利したカクウチや、同年夏のワールドオールスタージョッキーズ第3戦で豪州のC.ウィリアムズ騎手を背に3着となったコスモオピニオンの5代母として、今もその名を血統表内に見つけることができるのである。

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