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第22回 馬道の思い出 川島正行調教師3回忌によせて

2016.09.26
 あれからもう2年?それともまだ2年?
 そんな会話が交わされた9月7日の船橋競馬場。雨の予報にも関わらず、すっきりとした晴天に恵まれたその日は川島正行調教師の3回忌でした。

 今回は川島正行調教師の思い出を、厩舎コラム「川島ファミリーがゆく!馬道ひとすじ」には書かなかったちょっと面白いエピソードなどを名伯楽が一心に進んだ馬道の途中にある'散歩道'のような雰囲気で綴っていこうと思います。

 「'もう2年'ですね。先日お墓参りに行って来ました。先生の存在は大きかったですね」。そう語ったのは一番弟子で、騎手として川島正行厩舎の馬たちを陰で支え続けた佐藤裕太調教師。川島正行調教師亡き後すぐに厩舎を開業。その言葉から、2年という月日を懸命に駆け抜けて来た裕太調教師の想いを感じました。

 川島正行調教師と言えば、思い立ったら吉日!という行動力も印象的でした。とにかく良いと思ったことはすぐに実行する!ということが多々。時として、周囲がそのスピードに息を切らすことも少なくありませんでしたが、その根底には人を喜ばせたい、楽しませたいという思いが常に感じられたように思います。

 そんな行動力を表すエピソードを、普段呼んでいた'先生'でお伝えしましょう。

 もう10年ほど前になりますが、ある日、ふと携帯を見ると川島先生からの不在着信のお知らせが表示されていました。あら、大変。折り返し電話しなくちゃ!と急いで電話をすると「はい、アベちゃん、お疲れさま!」と元気な声・・・の向こうから、ザッザッという謎の音が聞こえてきます。ダートにしちゃ音が大きいな、ジャリの上を歩く音?と思い「先生、今、どちらです?」と聞いてみると「うん、ガーナだよ」。

 え!!ガーナ?ガーナって、アフリカのガーナ?!うわー、これって国際電話?料金はどうなるの?あれ?時差は?向こうって今何時?

 とっさにそんなことを思い、先生に用件を伺うと、急ぎではない用事でした・・・。

 この時、先生が遠い異国・ガーナにいた理由は、ある日、駅前で募金活動の演奏をしているガーナの人たちに気づいて声を掛け、そこでガーナの子供たちの苦しい生活環境を知り、なんとか少しでも手助けしたい!と思い立ったのがきっかけだったそう。この後、船橋競馬場ではガーナ共和国盃も施行され、開催時にはガーナの文化の紹介や募金活動なども行われました。

 また、「宣伝されることで、より多くの人たちに船橋競馬場を知ってもらいたい」という考えから、マスコミ関係者への'おもてなし'も大切にしていた川島先生。2011年暮れの東京2歳優駿牝馬(SI)の追い切り後には「地元(千葉県山武市)の美味しい漬物があるから食べなさい」と、故郷から送られてきた'たくあん'をたっぷりと蔵出し。厩舎の前のテーブルで自ら切り分けてくれたことがありました(写真左)。その時、先生はつい、いつものクセで「コーヒー入れてきて」と奥様に指示。一瞬誰もが「たくあんにコーヒー・・・」となる中、奥様が「お茶にしましょうね(ニコリ)」とされていたのも懐かしい思い出です。

 第22回 馬道の思い出 川島正行調教師3回忌によせての画像 3回忌当日、9月7日に行われたフリオーソレジェンドカップ(準重賞)は、コンドルダンス(齊藤敏厩舎)とノーキディング(矢野義幸厩舎)の船橋の生え抜き2頭がハナ差決着となる激しいデッドヒートを繰り広げました。レースは地方競馬リーディングの森泰斗騎手を背にしたコンドルダンスが持ち前の切れる脚を活かして制覇。見応えのある熱戦に競馬場も大きな歓声に包まれました。

 このレースには、川島正行調教師の息子・正一調教師の管理馬ブロードソードも出走していましたが、残念ながら8着という結果に。口取り撮影に向かうカメラマンの間を愛用の自転車に跨り、リンリンと大きくベルを鳴らして通り抜けた茶目っ気たっぷりの正一調教師。そんな姿を周囲も笑顔で見送っていました。

 もう2年。まだ2年。

 ファンの歓声あり、競馬場にかかわる人たちの笑顔ありの1日を、先生は褒めてくれたでしょうか。

 先生からの声は聞くことはできませんが、その替わりに、ファンの皆さんが答えを出してくれることでしょう。
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