JBBAスタリオンズ名鑑 ~歴史を紡いだ種牡馬たち~
第4回 ティエポロ(ITY)
昭和30年代のなかばは、戦後に輸入された外国産種牡馬の産駒が競馬場を席捲するようになった。1953(昭和28)年に輸入されたライジングフレーム(IRE)が初めてチャンピオンサイアーとなったのは1958(昭和33年)。これに続くように1954(昭和29)年から日本で種牡馬生活に入ったゲイタイム(GB)。同じく1955(昭和30)年初供用のハロウェー(GB)、1956(昭和31)年のヒンドスタン(GB)の産駒が大活躍。日本の生産界に空前の輸入種牡馬ブームが沸き起こっていた。
今回紹介するティエポロ(ITY)が日本中央競馬会によって輸入されたのは1961(昭和36)年。その時代は1958(昭和33)年に初年度産駒をデビューさせたゲイタイム、1959(昭和34)年から産駒を送り出したヒンドスタンの産駒が大活躍し、さらに1960(昭和35)年はハロウェー産駒の3歳牝馬スターロッチが有馬記念に勝って最優秀3歳牝馬に選出されているという中での輸入だった。折からの外国産種牡馬ブームによって初年度から44頭の繁殖牝馬を集めて順調な滑り出しを見せたが、幸か不幸か先輩種牡馬たちは凄かった。ゲイタイムは1961(昭和36)年のダービー2着、菊花賞2着メジロオー、1962(昭和37)年のダービー馬フェアーウィン、1963(昭和38)年の2冠メイズイを送り、1961(昭和36)年春の桜花賞、皐月賞、ダービー、そして天皇賞(春)はヒンドスタン産駒が勝利。1962(昭和37)年の桜花賞、オークスも同馬産駒によるものだった。そしてハロウェーも絶え間なく活躍馬を送り続けたため、ティエポロがそれらの陰に隠れるようになってしまったのは少々残念だった。
ティエポロは名馬産家として知られるイタリアのフェデリコ・テシオ氏の生産馬。半弟にはシカンブル産駒で伊セントレジャーに勝ったティジアノ、ボッティチェッリ産駒で同じく伊セントレジャーに勝ったタヴェルニエル、そしてネッカー産駒でイタリアの2冠牝馬タドリナがいる血統で、現役時代はイタリアで走って通算17戦10勝。伊セントレジャー(芝2800㍍)、ミラノ金杯(芝3600㍍)、デュカダオスタ賞(芝4000㍍)などに勝ったステイヤーで、伊ダービー、ミラノ大賞、イタリア大賞では本邦輸入種牡馬セダン(FR)の後塵を拝して2着だった。現役引退後は生まれ故郷で種牡馬となったが、その翌年にわずか1世代だけを故郷に残して日本へと輸出された。
父ブルーピーターBlue Peter(GB)は英国2冠馬。フェアウェー Fairway(GB)からファラリス Phalaris(GB)へとさかのぼるサイアーラインはハロウェー(GB)と同じだが、母系は超が付くようなステイヤーファミリーで、母トレビサナ Trevisana(ITY)は名種牡馬リボー Ribot(GB)の父テネラニ Tenerani(ITY)とは1歳違いの半妹。当時のイタリアの競馬体系がそうさせるのだろうが、近親には長距離重賞勝ち馬がズラリと居並ぶ。
日本到着後、千葉県印旛郡富里村の日本軽種馬協会千葉県支部両国種付所で種牡馬生活をスタートさせ、翌年は浦河町の日高軽種馬農協浦河種馬所へ。そして静内、苫小牧、九州へと移動。1967(昭和42)年は青森県の七戸種馬場に移動したが、種付けの記録はなく、十和田市の牧場へと払い下げられ1972(昭和47)年に用途変更という記録が残っている。
大きな期待とともに輸入されたが、代表産駒は川崎の関東オークス、船橋のクイーン賞、浦和のゴールドカップなどに勝って安田記念2着のスターコキトール、4歳抽籤馬特別に勝って桜花賞3着、オークス3着のマルシゲなど。輸入当初の期待から言えば不振と言わざるを得ない産駒成績だった。その理由としては当時の繁殖牝馬は戦前からの血統馬が多く、ステイヤー色の強い本馬産駒は、ややスピード不足に悩まされる産駒が多かったものと推測される。しかし、そのスタミナ、底力は母の父として大成功。2冠馬タニノムーティエ、タニノチカラ(天皇賞(秋)、有馬記念)の母タニノチェリや、ロングエース(日本ダービー)、ロングファスト(日本ダービー2着、菊花賞2着)、ロングワン(最優秀2歳牡馬)の母ウインジェスト、あるいはウラカワチェリー(阪神牝馬特別)、ハシストーム(日本経済新春杯2着)の母セカイイチオー、あるいは桜花賞馬エルプス(テイエムオーシャンの祖母)の祖母クインエポロ、悲運の名馬とも言われるライスシャワーの祖母クリカツラとしても名を残し、近年で言えばニシケンモノノフの血統表にもその名を見つけることが出来る。ステイヤー系種牡馬が不振に終わった場合「母系に入って本領を発揮するかもしれない」とは現代でも言われるが、それはティエポロ(ITY)の存在がそう言わせるのかもしれない。