JBBAスタリオンズ名鑑 ~歴史を紡いだ種牡馬たち~
第3回 ガルカドール(FR)
1959年(昭和34年)12月に日本中央競馬会によって輸入され、日本軽種馬協会へと寄贈されたガルカドール(FR)は、仏国の名馬産家マルセル・ブーサック氏のオーナーブリーディングホース。日本に導入された最初のトウルビヨン系種牡馬であり、また日本の地を踏んだ2頭目の英国ダービー馬だ。半姉には1949年の仏1000ギニー優勝のガルガラ(46年生、父ゴヤ)、47年にモーリスドギース賞を勝ったウィンドラ(44年生、父トウルビヨン)がいる血統は日本での人気も高く、1966年(昭和41年)に輸入され、1972年の天皇賞・春に勝ったベルワイド、2008年(平成20年)の最優秀3歳牝馬リトルアマポーラ、23年(令和5年)高松宮記念優勝ファストフォースなど現在まで広く枝葉を広げている名牝コランディア(GB)や、そのベルワイドが勝った天皇賞(春)の2着馬キームスビイミー、あるいは1956年の仏ダービーに勝ち、64年に種牡馬として輸入されたフイリユース(FR)も同じファミリーだ。これだけの血統馬だけに、購買価格は1万8,500ギニー(当時の邦貨で、約1,960万円)と言われている。
父系をさかのぼれば、戦後初のリーディングサイアーとなったセフト(IRE)と同じでウッドペッカー(1773年生、英国産)からヘロド(1758年生、英国産)を経て3大始祖と言われるバイアリーターク(推定1680年生)に辿り着くサイアーラインだが、セフトがヘロド系の中でもスピードを伝えたザテトラーチ(1911年生、英国産)系なのに対して、ガルカドールはスタミナを武器としたクサール(1918年生、仏国産)系。まったく別々の道を歩みながら枝葉を広げてきた。
奇しくも2025年、英国で唯一のバイアリーターク系の現役種牡馬と言われるパールシークレット(GB)が16歳で輸入されたことが話題となったが、今回は同父系種牡馬の話だ。
前号、前々号で紹介させてもらったオーブリオン(FR)、マイナーズランプ(IRE)もある意味でそうだったが、日本中央競馬会、日本軽種馬協会が導入する種牡馬は、血統的な偏りを防ぐため、いたずらに流行を追いかけない傾向が強く、本馬もそうした背景から導入されたものと思われる。
現役時代の通算成績は4戦3勝2着1回。仏国のロンシャン競馬場芝1000㍍戦でデビューし、2連勝。仏2000ギニーで2着に敗れると、英国へ渡ってザ・ダービーに勝利し、その翌年からフランスで種牡馬となっていた。
父ジュベル(1937年生、仏国産、父トウルビヨン)は第2次世界大戦中に活躍した名馬で、1940年(昭和15年)のダービーは戦火を免れるために出走を取り消したと言われているが、英2000ギニーと5歳時に凱旋門賞に勝つなど通算成績は22戦15勝2着5回3着2回。種牡馬としても仏国チャンピオンサイアーに複数回なるなど大成功した。日本にもなじみの深い父系で、マイバブ(1945年)を通して1971年にチャンピオンサイアーとなったパーソロン(IRE)ほか、クラリオン(1944年生)からはタニノチカラの父ブランブルー(FR)やビゼンニシキなどの父ダンディルート(FR)、ミホノブルボンの母の父シヤレー(FR)などが輸入されている。
日本到着後、ガルカドール(FR)は北海道の日高種畜牧場に配置され、明けて13歳となった1960年(昭和35年)から種牡馬生活に入り、1962年(昭和37年)からは青森県の日本軽種馬協会七戸種馬場に移動し3シーズンを過ごしたのち1965年(昭和40年)に千葉県の日本軽種馬協会三里塚種馬場に移動し、22歳となった69年(昭和44年)まで種付けの記録が残っている。
おもな産駒には毎日杯など重賞2勝ほかシンザンが勝ったダービーと菊花賞でともに3着だったオンワードセカンドや、今でいう中山金杯に勝ったヒガシソネラオー、中山大障害優勝ヤマニンダイヤなどがおり鳴り物入りで導入された種牡馬としてはその期待どおりとは言えないが、良血馬らしく母の父としては優秀で有馬記念2着、天皇賞(秋)3着リユウフアーロスやダービー3着フイドール、オークス3着カンツオーネほか目黒記念などに勝ったブルーハンサムや重賞3勝フジマドンナなどを残し、また1987年の2冠牝馬マックスビューティの曾祖母オートトップの父としても、その名を見つけることができるが、それ以上にトウルビヨン系種牡馬の優秀性と、マルセル・ブーサックゆかりの名牝系のレベルを知らしめたという点で、後のニッポン競馬に大きな影響を与えた1頭だ。
ガルカドール(FR)「日本の種牡馬」(昼夜通信社発行)より