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第2回 マイナーズランプ(IRE)

2025.02.18

 第二次世界大戦のために開催が中止されていた競馬が再開されたのは昭和21年(1946年)秋のこと。この年、記録に残っている軽種馬生産頭数はサラブレッド、サラ系、準サラ、アラブ種、アングロアラブ、アラ系、軽半種、その他血統不詳馬含み541頭だった。おそらく純血サラブレッドは100頭にも満たなかったものと思われる。第二次大戦が始まった昭和16年(1941年)には3,000頭を超える軽種馬が生産されていたというから、当時の時代背景が垣間見える。

 軽種馬生産頭数が3,000頭に復活したのは昭和29年(1954年)。しかし、そこから数年間は生産頭数が右肩下がりとなるのだが、これは軽半種、その他血統不詳馬が一気に姿を消したことが要因と思われる。

 今回、紹介するマイナーズランプ(IRE)(1955年生、父Signal Light(IRE)=Phalaris(GB)系)は、そんな時代に「内国産競走馬の能力向上を以て、日本の競馬を国際的水準に高めるため」前号で紹介させてもらったオーブリオン(FR)(1953年生、父Fastnet(FR)=Phalaris系)とともに日本中央競馬会が購入した馬だ。英国王室の生産馬で、現役時代は女王エリザベス二世の所有馬として2~3歳時に英国で走って5戦2勝2着2回。デビュー戦に選ばれたのはアスコット競馬場の重賞ロイヤルロッジS(芝8ハロン)。ここで2着したのち休養に入り、3歳シーズン初戦で、エプソム競馬場芝8.5ハロンのブルーリバンドトライアルステークスで初勝利を記録すると、続くニューマーケットステークス(芝10ハロン)2着ののちエプソムダービーへと駒を進め、勝ったハードリドン(GB)(本邦輸入種牡馬)からは離されはしたものの2着馬とは差がない5着と健闘し、続くプリンセスオブウェールズS(ニューマーケット競馬場芝12ハロン)で重賞初勝利を記録している。詳しい資料を見つけることが出来なかったので、引退した理由は不明だが、その1戦をもって現役生活から退き、昭和33年(1958年)11月6日に仏国のマルセイユ港を出発し、同年12月16日、横浜港に到着した。当時の記録によれば、オーブリオンの購買価格が5,500ポンドだったのに対して、マイナーズランプは14,350ポンド。生涯獲得賞金は7,500ポンド弱だったというから、期待の大きさが計り知れる。

 父Signal Light(IRE)は昭和11年(1936年)生まれの英国産馬。2000ギニーの重要な前哨戦であるクレイヴァンSの優勝馬。現役引退後は英国で種牡馬となり、仕上がりの早さとスピードを産駒に伝え、愛2000ギニー優勝馬で、愛ダービー2着、英ダービー3着シグナルボックスやミドルパークSやシャンペンS、ジュライSなどに勝ったビッグディパー、ヴィクトリアCを2度制したスターシグナルなどを送り出している。その父Pharos(GB)はのちに世界の血統地図を塗り替えることになる大種牡馬Nearco(ITY)の父だ。

 母Young Entry(GB)は昭和20年(1945年)生まれの英国産馬。その父Foxhunter(GB)がアスコットGC(芝19ハロン)やドンカスターカップ(芝18ハロン)の勝ち馬で、Young Entry自身もランカシャーオークス(芝12ハロン)の優勝馬でパークヒルS(芝14.6ハロン)2着馬。産駒のAtlas(GB)(つまり、本馬の半兄)もドンカスターCの優勝馬というからたっぷりとスタミナを蓄えた母系と言える。
本馬に特徴的なのは、父方祖父のPhalaris(GB)と、祖母の父Fairway(GB)が全兄弟ということ。この強烈なクロスに起因しているかどうかは不明だが、激しい気性の持ち主でスピード豊かな馬だったらしい。

 昭和34年(1959年)から千葉県の下総御料牧場で種牡馬生活をスタートさせ、5シーズン供用されたのち日本軽種馬協会が借り受けて青森、鹿児島、北海道、そして千葉でさらに8シーズン供用され、アラジンオー(NHK杯)、キヨトミ(牝馬特別)、ウイステリヤ(福島記念)ほかグローリターフ(東京障害特別)、アイエルオー(東京障害特別)などを送り、後継種牡馬としては昭和36年(1961年)生まれの未出走馬グローリーマンナ(母ブランドマンナ)が11シーズンを過ごしたという記録があるが、現在ではその直父系は途絶えている、しかし、母の父としてもヒロノスキー(サンスポ4歳牝馬特別、オークス3着)やメイセイヒカリ(京都4歳特別)、アイズキノー、ホリマロニエ(いずれも福島大賞典)などを送り、またダスゲニー(サンスポ4歳牝馬特別など重賞3勝)の祖母の父として影響力を残したのである。

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