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第31回 ハッツオフ計画

2011.07.14
 日本時間の3月11日,14時46分。ウインチェスターファームのあるアメリカ東部時間の時計は,午前1時46分を指していた。
 お産時期だったこともあり,枕元にトランシーバーと携帯電話を置いていたウインチェスターファーム代表の吉田直哉氏は,ツイッターが受信されたことを知らせるメールにまどろみを奪われる。そこには「都内大パニック」とのツイートがあった。

 何のことか理解できなかった吉田氏は再び眠りに付いたが,数時間後に目を覚ました時,携帯電話に安否を確認する多くのメールが届いていた。まどろむ頭で不思議に思いながらパソコンを立ち上げたところ,そこには変わり果てた東北の姿が映し出されていた。

 震災に遭った岩手県は,吉田家にとってルーツとなる土地だった。また被災地には大学の同窓生が獣医師として働いており,仙台やその近郊には親戚や,仕事で出会った方やその家族も住んでいた。時間こそ要したが関係者の無事も確認出来たとき,吉田氏は義援金を送る以外に何かできないかと考えるようになった。

 その時,ツイッターを通して,競馬関係者の方から牧場でいただいた帽子をチャリティーに出品してはどうかというプランが出てきた。こうして得た収益金を,東北の未来を担う,震災で困っている子供達の学業資金として役立てるだけでなく,相馬野馬追存続にも使うことがホースマンとしてできることであり,世界の競馬関係者も協力してくれるのではと吉田氏は考えた。

 ハッツオフプロジェクトのコンセプトを構築すると,すぐにケンタッキー州内のスタリオン数件から帽子を提供したいとの申し出が届いた。こうなったならば世界中のホースマンにも協力してもらおうと考えた吉田氏は,Thoroughbred Daily Newsの副社長であるSue Finlay氏に相談したところ,4月14日付で『私達ホースマンは,馬上から東北を見つめている』というメッセージと共に,ハッツオフプロジェクトは世界へと配信された。

 吉田氏の元へも世界中のホースマンから数多くのメッセージが届いた。そのほとんどが吉田氏や日本に対する激励であり,また「日本は大丈夫なのか?」との質問もあったが,「助け合いの精神や我慢強さなど,今だからこそ日本人の良さが発揮されるはずです」とのメッセージを返したのと前後するように,海外のメディアでも被災者の皆さんの強さや優しさが好意的に紹介され,心配どころかむしろ感銘するメッセージが届くようになった。

 Thoroughbred Daily Newsからプレスリリースがあったその日の朝,真っ先に連絡をくれたのは牧場関係者ではなく,レキシントン市内に住む競馬ファンの女性だった。話を聞くと,コレクションとして集めた貴重な帽子30個を提供したいとのことだった。

 吉田氏はかつて研修で訪れていたアイルランドのキルダンガンスタッドにも連絡をしてみた。すると「もう速達で送ったよ」との思わぬ返事が返ってきた。イギリスのダルハムホールスタッドでは,ダーレー・オーストラリアへも支援するよう指示を出してくれていた。駄目もとで外部には滅多に帽子を提供しないゴドルフィンへ電話すると,快く申し出を受け入れてもらえただけでなく,間もなくして50個の帽子が速達で届けられた。

 クールモアスタッドからは,直接吉田氏の携帯に電話があり,同社のイギリス,オーストラリアからは帽子と義援金の手配があった。それでも吉田氏は電話をかけ続けた。今こそ,世界中で培ってきたホースマンとの繋がりを生かしたいと思った。ハッツオフプロジェクトは瞬く間に世界に波及していた。それは東北を,そして日本のために何かをしたいという思いと,馬が,そして競馬が一つの文化であることを証明した出来事でもあった。

 送られた帽子の数はあっという間に3,000個を超え,インターネット上だけでなく,門別競馬場を皮切りに日本中の競馬場で発売されることとなった。ダービーウィークとなった5月28日と29日には,東京競馬場でも販売が行われ,ハッツオフプロジェクトの日本における窓口となっている目黒貴子さんなどの女性キャスターたちが売り子となり,2日間で500個近い帽子を売り捌いた。ハッツオフプロジェクトは,まだ広がりを見せている。先日,東京ダービーが行われた大井競馬場では帽子を買い求めるファンが列を成したし,趣旨に賛同した世界中のホースマンからは吉田氏への元へ今でもメッセージが届いている。

 最後に,吉田氏への元へ届いたこんなメッセージでこのコラムを結びたい。
 「世界はきっと,優しさで繋がっている。これはキッケンクリスから日本の皆さんへの気持ちです。『尊い馬事文化保存のお手伝いが出来れば嬉しいです。』」
 ブラッシュウッドステープル ベティー・モーランオーナーより。
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