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北海道馬産地ファイターズ

村本浩平 北海道馬産地ファイターズ

第111回 『マス対コア』

 キタサンブラックは、近年の競馬界を代表するスターホースと言えよう。キタサンブラックが日本国民の多くに認知された理由、それは「分かりやすさ」にある。

 まずはオーナーが紅白歌合戦で史上最多となる13回の「トリ」を飾った北島三郎氏(馬主名義は(有)大野商事)。そして、全盛期を迎えた古馬となってからの鞍上を務めたのが、競馬界では随一の知名度を持つ武豊騎手。

 そのキタサンブラックが、競馬ファンはもちろんのこと、多くの日本人にも「年末の大一番」として認知されている昨年の有馬記念に出走。

 これがラストランというシチュエーションの中、見事に逃げ切り勝ちを果たした。

 しかも、レースの後に行われた「お別れセレモニー」では、北島オーナーが代表曲である「まつり」を熱唱。キタサンブラックの勝利の瞬間だけでなく、その模様もまた、TVのニュースや、次の日の新聞各紙に大きく取り上げられた。

 有馬記念当日は、函館競馬場でビギナーズセミナーの講師をしていたのだが、キタサンブラックが先頭でゴールを駆け抜けた瞬間に、至る所から拍手や歓声がわき上がっていた。

 その光景を見た時、馬券の結果はどうでも良くなるほど胸が熱くなり、「これで競馬をまだ沢山の人に知ってもらえる」とも思った。

 感動的なラストランの後もキタサンブラックフィーバーは続く。1月7日に京都競馬場で行われた引退式には、全レース終了後にもかかわらず、1万8千人のファンが競馬場に残っていたという。12日には社台スタリオンステーションでスタッドインを果たしたのだが、その光景を見届けるべく、早朝から多くの取材陣が集まっていた。

 「こんなことはディープインパクト以来だね」といつも取材で顔を会わせている記者の方が話す。自分もディープインパクトのスタッドインと一緒だな、と思ったのは、取材陣の中にはいわゆる競馬マスコミだけでなく、北海道内の民放TVスタッフの姿もあったことだった。キタサンブラックが生まれ故郷である北海道へ戻ってくるのは、TVとしても充分なニュースソースとなり得るのだろう。

 そうこうしていると馬運車が到着し、地面に降ろされたスロープをキタサンブラックがゆっくりと降りてくる。カメラを構えた時にシャッター音と共に聞こえてきたのが、「キタサンブラックが今、到着しました!」と話すアナウンサーの声。我々からすると見慣れたスタッドインの様子だが、その状況を知らない人が見れば、感動の瞬間にも思えるのだろう。

 その後、主に競馬マスコミの取材陣からの要望で、横姿の立ち写真や顔の写真を撮らせてもらったのだが、その時は意外にもTVカメラは熱心に撮影をしてはいなかった。まあ、こちらからの「軸が狭いですね」「後脚がまだ出れば...」との言葉を聞いたところで、何を指示しているのか分からないのだろうし、静止画像に近い立ち写真は、TVの映像的にもあまり需要が無いのかもしれない。

 そんなTVカメラが再び熱心に取材を始めたのは、生産者である㈲ヤナガワ牧場の関係者、そして繋養先である社台スタリオンステーションスタッフへインタビューを求めた時だった。あまりにも時間をかけて話を聞くので、このインタビューの内容だけで原稿を構成しようと思った程なのだが、ふと、質問を聞いていると自分ならまず聞かない、いや、競馬を少しでも知っていたのなら、「なぜそんなことを?」といった質問も向けられていることに気付いた。

 自分もライターの端くれとして、誘導尋問に近い質問を向けることもあるので理解はできたが、そのアナウンサーの方は、感動的な馬との再会や、我が子と会ったときのような感動。また、キタサンブラックにどんな馬になって欲しいか?といった質問を、㈲ヤナガワ牧場の関係者や社台スタリオンステーションのスタッフに向けていた。

 しかし、両者ともにレースは幾度となく見に行っているので、久しぶりの再開とはならないし、我が子のような思いと聞かれたとしても、牧場を離れてからの時間の方が長くなっており、ファンの一人のような視点でのコメントをせざるを得ない。

 しかも、どんな馬になって欲しいかと聞かれても、種牡馬として成功して欲しい、というのがもっともな答えであり、そのためには、配合、種付頭数の確保を含めて何が必要かということを、生産者、時にはスタリオンスタッフの視点から説明する必要も出てくる。

 全てはキタサンブラックだけでなく、競馬に対する知識を、アナウンサーの方が持っていなかったということなのだろう。

 自分が質問を受ける側なら、どう答えるかなあと思っていたのだが、家に帰ってからのニュースを見て驚いた。あれだけインタビューの取材に時間を割いたにもかかわらず、使われていたのはほんの数十秒だったからだ。
(次号に続く)