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第183回 『労働讃歌』

2024.03.19

 最近、筆者と同じ50代前半、もしくは40代のホースマンと話す機会が増えてきた。その際に共通のテーマとして盛り上がるのが、この世界に飛び込んだ頃の労働環境である。


 筆者も20代の頃に僅かながら育成牧場で働いた時期がある。そこは週休一日の勤務となっていた(その他に夏と冬にまとまった休みを取ることもできた)。


 だが、当時にそこまで休みがあった牧場は珍しかったらしく、別の牧場で騎乗スタッフを務めていたあるホースマンからは、「ウチの牧場は休みは2週間に1日だけ。時としてそれも半休になっていたけど、当時は何も思わなかったなあ」と言われた。もっとハードな勤務体系としては生産牧場の勤務経験があったホースマンである。休みは月に1日だけであり、時には牧場で身体を休めていたら、ふと呼び出されて、気付いたら仕事を手伝っていたという。「サービス残業みたいな感じですね。それでも、用事で街に出ている時に、銀行に行くなどの私用で使える時間はあったので、当時はそこまで仕事に捕らわれているとは思っていなかったです」とも話してくれた。地方競馬の厩務員経験者に話を聞くと、午前3時頃から調教の準備を始めるだけでなく、その日の夜飼いまで勤務が当たり前だったという。もちろん、その間には身体を休める時間はあるものの、睡眠や食事以外に取れる自分の時間は、ほぼ無いものと言ってもいいだろう。


 労働基準法の第41条には、動物の飼育やその他の畜産の事業に従事する者は、休日や労働時間といった、労働基準法の一部の規定が適用除外となっている。


 生き物を相手にする仕事をするにあたっては、決められた労働時間内では到底補えない仕事が多い。その分、閑散期にはまとまった休みを取れたり、勤務時間の中にも自由に使える時間を多く取ることで調整を行っている。


 とはいえども、昔の牧場の労働環境は過酷過ぎたというのか、牧場や競馬場に拘束されている時間が、とんでもなく長かったように思える。話を聞かせてもらったホースマンたちは、それだけの時間を馬と向き合い、そして様々な経験を重ねてきている。だからこそ今では、各牧場で責任のある立場を任されているのだろう。


 ただ、その方法論が通用したのは、2000年代の前半までであり、近年では大規模牧場ほど、労働時間はしっかりと守られるようになっている。


 とある育成牧場では就業終了時間を迎えると、スタッフが一斉にスマホに入っている勤怠管理アプリを立ち上げ、打刻をしてから自家用車に乗り込むと、まさに蜘蛛の子を散らすかのように、あっという間に牧場を離れていった。


 また違う育成牧場では、隔週ながらも週休二日制を導入しており、いずれは完全週休二日制を目指しているという。ただ、その勤務体制を可能とするには、休みを増やしても業務に支障が出ないだけの人材の確保が重要となってくる。


 近年は好調なせり市場を受けて、生産頭数も確実に増加している。当然のようにホースマンの数も年々増加していなければいけないのだが、生産、中期育成、後期育成(騎乗育成)の現場に入ってくるホースマンの数は増えているようには見受けられない。


 特に騎乗技術を必要とされる騎乗育成のスタッフは、人材を育てていくよりも、即戦力で働く人材を必要としている。その結果、インドなどで競馬場や牧場で勤務していたライダー経験者たちが、今ではおのおのの育成牧場において、欠せない人材となっている。

 月に一日も休みをもらえなかったホースマンが、こんなことを話してくれる。「今では自分も人を使うポジションになりましたが、当時の勤務体系で今の若い子に働いてくれだなんて、とても言えないです。ただ、まだ充分な休みを取らせてあげられたら…とは思ってしまいます。そのためにも、人材を確保しなければとは思っていますが、夢がある世界だとはいえども、『やりがい搾取』のような労働条件では、二の足を踏んでしまいますよね」より働きやすい環境作りのために、最近ではお昼ご飯に弁当を支給する牧場も増えてきた。食堂の施設が無い牧場では、三食を全て自分で賄う必要が出てくる。睡眠時間も取りたい昼食時にご飯を作ったり、時には近くのコンビニやスーパーまで、買い出しに出かける時間が少しでも省けるのはスタッフにもとても有難いはずだ。


 昔は大変だった、という言葉では済ませたくない。少子化に歯止めがかかっていない現状からしても、未来のホースマンが働きたいと思えるような環境作りは、生産界において必要不可欠となってきたと言える。

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