北海道馬産地ファイターズ
第198回 『ゴールデンウイークは千葉へ PART Ⅰ』
へデントールが、ビサンチンドリームとの激しい叩き合いを制した天皇賞・春。ホテルに備え付けられた縦型テレビを消すと、コンテナ型の部屋が並んでいるホテルの部屋を出て、昼と夜の境目へと身をゆだねていく。
コンテナ型の部屋が並んだホテルから、道路を挟んだ場所には成田国際空港がある。上空には出発と到着を繰り返す飛行機が、ひっきりなしに飛んでいた。
グーグルマップの指示通りに、住宅街の中の道路へと足を踏み入れていく。飛行機の離発着音が途切れると、辺りは一気に静寂に包まれる。
スマホを取り出して道順が合っているのかを確認した後に、現在の気温をチェックする。日中は25℃ほどまで上がっていたが、日も陰ったのもあるのか、散歩にはちょうどいい気温となっていた。
不思議だったのは、ホテルを出てからそれほど歩いていないにもかかわらず、全く音がしなくなったどころか、住宅地の道路沿いには人の気配すら感じられない。
これは白昼夢なのではと思い、少しだけその場に立ち止まる。
ふと、どうして自分はゴールデンウイークの真っ只中に、土地勘のまるでない千葉県の成田市に来ているのだろうかと考え直して、これまでの行程を思い出し始めた。
すると、先ほどまでは聞こえていなかった飛行機の離発着音が聞こえて来るようになっただけでなく、車を洗車している男性の姿も目に入ってきた。
しばらく歩いていると住宅の切れ目を見つけたのだが、そこにはこの場所一帯が緑で覆われていた頃からあったと思われる、古くて小さな神社があった。
これも何かの導きなのだろうと鳥居を潜り抜け、これまで安全な旅をさせてくれたことに感謝するだけでなく、明日、行われるイベントの成功を祈りながら柏手を打った。
いつもは自宅でゆっくりとしているはずのゴールデンウイークだったが、今年は5月4日(日)から千葉へと向かっていた。
その目的とは、5日(月)に千葉県富里市の観光・交流拠点施設である「末廣農場」と、隣接する「旧岩崎久彌末廣農場別邸公園」で開催された「とみさと未来馬フェスタ」の司会を務めることになったからだ。
話は3月下旬へと遡る。岡田スタッドの岡田牧雄代表から、「ゴールデンウイークはどうしているの?」と言われた筆者は、家でのんびりしていますねと返すと、「ちょうど良かった!千葉で馬のイベントがあるんだけど手伝ってくれないか。あとでイベントを企画した人から電話をさせるから」とこちらの返答も聞かずに話をまとめられた。そのイベントの企画者となっていたのは、1897(明治30)年に創業した「銀座 いわきや」の5代目となる我妻登鷹さんである。
我妻さんと筆者は以前から親しい関係だった。子供の頃からの夢だったポニーを飼うようになった我妻さんは、そのポニーに障害を飛越させるトレーニングを行うと、「コジュウチョウサン」と名を付けて、競馬ファンや子供たちを招いたイベントを行うようにもなっていた。
我妻さんの行動力はそれで止まらずついには「馬のふるさと」と銘打っていた富里市とのイベントを企画。そのイベントを開催するにあたり、岡田代表に相談を持ち掛けたところ、出演者として筆者の名前をあげてくれたという。
一応、YouTube配信のなまちゃきでは7時間の生放送を、開設者としてこなしてきただけでなく、最近は様々なイベントでもゲストとして招かれるようにもなっていた。
上手くできるという確証は無いが、その場に合ったトークや進行はそれなりにできるはずだ。だが、我妻さんから頼まれたのは、このイベントにおける、まさかの司会だった。
ただメインMCとして、グリーンチャンネルキャスターを務めていた星野涼子さんが、コーナー進行を行ってくれるので、自分が司会を務めるのは3部構成のトークコーナーだけとなっていた。
それでも荷が重い仕事だと悩んでいたところ、しばらくして、我妻さんからきっちりとした台本がメールで送られてきた。
イベントの前には我妻さん、蛯名正義厩舎の調教助手でこのイベントの企画、運営を行ってきた、渡部貴文さんとZoomを使った打ち合わせも行われた。そこではトークコーナーの出演者に対して、事前に質問を伝えてもらう段取りもできた。
それでも、あの時の岡田さんとの電話から、この白昼夢は始まっていたのかもしれない。そんなことを思いながら歩いていると、この散歩の目的地である、千明牧場の三里塚分場へと辿り着いた。
(次号に続く)